「閉塞感」と言う言葉を最近よく耳にします。文字通りに、閉じ込められて出口が無いという状況を言い表しているのでしょうが、我々は本当にそのような状況下にあるのでしょうか。鉄格子に囲まれた囚人は確かに閉塞状況に居ますが、我々が物理的に通り抜け不可能な鉄格子に囲まれているとは思えません。我々に鉄格子があると思い込ませ、自縄自縛状態に陥らせておく方が好都合な何かの作用があるように感じられます。その何かを分析するのは政治学者や社会学者に任せておくとして、先端研が組織として出来ることは、見せ掛けの鉄格子に惑わされずに「可能」と「不可能」を見極め、可能な事業に戦略的に資源を割り当てることです。より正確に言うと、先端研という小さな組織が自由に使うことの出来る非常に限られた資源を、そのように配分することに先端研全体が同意することです。
4、5年ほど前から、先端研は環境・エネルギーを重要課題の一つに位置付け、資源を投入して来ました。最近でこそ「はやり」の課題ですが、幸い外部にも多くの支援者、同調者を得て比較的短時間のうちに存在感のある研究グループが立ち上がりました。研究成果について述べるのには時期尚早ですが、形成されつつある確固とした協力体制は今後の活躍を期待させるものです。さてここで注釈を加えなければならないのですが、確固とした体制とは上意下達が浸透しているという意味ではありません。年齢や経験の差はあるにしても、参加者全員が同じ目線で議論を闘わせることが出来る、ということです。共有化された目標という文脈の中で各メンバーがそれぞれのポジショニングを理解できていれば、そのこと自体が体制をなすと言ってよいでしょう。逆説的ですが、小さな組織が身の丈以上の仕事をこなすためには、これ以外の選択肢は無いのではないかと感じています。これは先端研のメリットでありまた弱点でもあります。
次の中期計画へ向かって、先端研は共同利用・共同研究拠点にならない道を選択しました。すでに、予算配分や公的書類の外形的な分類の中にそのインパクトは現れつつあります。しかし、このような制度的な仕組みを鉄格子だと感じないためには、我々自身が変化する必要があります(change!)。閉塞状況を打破するという表現は、先端研に似つかわしくありません。むしろ、気がついたらいつの間にか鉄格子の外に居た、という風になりたいものです。