1. ホーム
  2. 先端研について
  3. 先端研30周年
  4. 先端研30周年記念式典 特別講演

先端研30周年記念式典 特別講演

バリアフリーの化学反応を引き起こす触媒となった、先端研
バリアフリー分野 福島 智 教授
福島教授

福島智と申します。私もみなさんと共に30周年を喜びたいと思います。 私は目と耳の両方に障害のある「盲ろう者」です。19世紀末から20世紀後半にかけて活躍した、アメリカの有名なヘレン・ケラーさんと同じ障害です。先端研でバリアフリー分野の教授をしています。私は今から16年前、2001年の春に先端研の助教授に採用していただきました。同じ時期にセンター長になられたのは、南谷崇先生です。30周年のだいたい半分、後半の期間を私は先端研で過ごしたことになります。

それまでは金沢大学で教育学部の助教授をしていました。専攻は教育学や障害学で、文系の人間です。ですので、最初は「先端科学技術」という名前に戸惑いましたが、先端研には理系も文系も、さらにその中間のような研究者のみなさんもおられて、とにかくみんなが良い意味でごちゃまぜになりながら研究している。ただし、条件が一つある。「先端」であること。そんなふうに説明されて、なんとなく分かったような気がしました。しかし、文系は良いとしても、私のように二つの障害を持っている人間になぜ先端研のお話があったかは、当初はあまり分かりませんでした。後で伺った経緯は次のようなものです。岡部洋一先生がセンター長でいらしたころ、1999年度に「21世紀の先端」とは何かについて検討する委員会が作られたそうで、委員長はこの後お話なさる児玉龍彦先生です。その時、次のような議論がなされたと伺いました。

「20世紀は広大な宇宙へ、あるいは極微の素粒子へと、外へ外へと向かうのが最先端だった。だが21世紀は、人間の内部へ、より複雑なものの中に分け入っていくのが先端科学ではないか。人間の内部に向かうなら、当然、障害をもっている人も、人間の一形態なので、障害のある人を除外した人間の科学は不自然。他がやっていないなら、新しいことをする先端研がやるべきではないか」と。

おかげで私が着任できました。重度障害を持った状態で新たに東大に採用された教員は、おそらく東大の歴史で私が初めてだと言われています。また、盲ろう者で正規の大学教員になったのは、私が世界初だと言われています。私自身はそんなに大それたことは考えていませんでした。ただ、先端研での仕事を通して、次の二つのことができないかと思っていました。「障害」をめぐる考え方やとらえ方を広げることによって、一つには「研究の幅」を豊かにすること、もう一つは、「研究のベクトルの方向」を多様にすることができないかということです。

つまり、これまで「障害者」の研究はあまり多くはなかったですし、あったとしても、学問領域が限られていました。そして何よりも、常に障害者は研究の対象であり、客体でしかなかったという歴史があります。その「研究のベクトル」を反転させて、障害者の視点や経験を通して、障害者だけでなくすべての人間を貫くようなテーマの研究が生まれるかもしれないと思いました。採用が正式に決まった2001年の2月、先端研での記者会見で私は次のように話しました。「私一人の力は微々たるものですが、東大先端研というフィールドで研究と教育に取り組むことで、東大を、ひいては社会を変えていく『化学反応』を起こす上での『触媒』になれたらうれしい」というようなことです。

後で考えてみると、「化学反応」といってもいろいろで、有害なものもありますよね。例えば、台所とかの消毒や漂白に使う塩素系の洗剤と、トイレ掃除用の強い酸性の薬剤をまぜると塩素ガスが発生してたいへんなことになりますし…。ここで言っていますのは、もっと有益なものを生み出す反応ということで、例えば、昔、理科の実験でやった過酸化水素水から酸素を発生させる時の触媒の二酸化マンガンとか、酸素と水素を加熱して水にする時の触媒の銅とか、そういうものをイメージしています。

さて、あれから16年。私が先端研で仕事をさせていただくことで、先端研と東京大学、そして社会に対して、どこまで望ましい「化学反応」を引き起こせたか。いくらかは「塩素ガス」も発生させてしまったかもしれませんが、多くのみなさんのさまざまなご協力をいただくことで、おおむね「酸素」や「水」などを生み出す「化学反応の触媒」になれたのではないかなと思っています。研究については、いくつかの企業との連携でサービスや商品開発において、障害者の視点から協力することができました。また、「公共空間」をめぐる国の政策提言を研究課題にしたこともあります。とりわけ、私自身の生育歴や体験を分析対象とする、いわば「究極の当時者研究」を行えたことが大きな喜びでした。この研究の結論を一言で申し上げると、コミュニケーションには「言葉の文脈」だけでなく、人間の五感にアピールする「感覚の文脈」が欠かせない役割を果たしているというものです。例えば、文字だけのメールやネットの掲示板では誤解やトラブルが頻出するのではないかと思います。この研究は日本語ではすでに刊行されていますが、現在英語での刊行にむけてネイティブに翻訳をしてもらっています。

教育に関しては、先端研での授業や受け持ち院生の博士論文の指導の他、教育学部や教養学部など、他学部でも障害やバリアフリーをめぐる授業科目が創設されたことはとてもうれしいことです。私以外にも多くの先生がこれらの授業を担当なさっています。院生の指導としましては、私は先端研での博士課程の受け持ち院生として、これまで6人しか卒業させられていませんが、そのうち何人かは大学教員や研究員になり、中には海外からの視覚障害の留学生で、今、他の国立大の准教授をしている人もいます。東大全体としては、「バリアフリー支援室」の発足があげられます。児玉龍彦先生の御尽力を頂戴しながら、支援室の発足に私も協力できたことは、とてもうれしいことです。

現在、先端研の教授会には、指点字で通訳を受けている盲ろう者の私の他、電動車いすを使いつつ「当時者研究分野」を担当する熊谷晋一郎先生がおられます。これだけでも極めて珍しい、おそらく日本に他に例のない光景なのですが、さらにこの他にも、障害児や障害者と寄り添いながら実践的な研究・教育をなさっている3人の先生方、中邑賢龍先生、巖淵守先生、近藤武夫先生もおられます。

こうして振り返ってみますと、私は「化学反応」を起こす本体といいますか、実体の材料にはとてもなっていませんが、何らかのきっかけを作ったり、「反応」を側面から手伝うということはできたかもしれないと思います。もし私がそうした「触媒」的な役割を少しでも果たせてきたとすれば、それは、私が先端研という稀有なフィールド、いわば「アカデミック・ワンダーランド」にいられたおかげだと痛感しています。先端研、どうもありがとう。これからも先端研と共に歩み、微力を尽くしていきたいと思います。

   
ページの先頭へ戻る