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先端研30周年記念式典 特別講演

先端研を社会科学は攻め抜きうるか?
情報文化社会分野 御厨 貴 客員教授
御厨客員教授

「ありがとうございました」と言って壇を下りなければいけない時間に、壇に上がりました。十分に時間を考慮して早く終われというふうに最初から言われておりますので、今日用意してきた内容は全部かなぐり捨てまして、この後、すぐにビービーと終了の合図が鳴るでしょうから、それまでの間、5~6分だと思いますがお話をしたいと思います。私は「あと5~6分」という時に何を話したらいいかというのは、この10年間、皆様おなじみの『時事放談』(TBSテレビ)という番組で嫌というほど味わってきた。大体もうあと5~6分になると私の前に「あと5分」といった紙が出てきて、それからは秒単位でカウントダウンされます。終わらないとほんとに番組が終わっちゃいますから、そこがとても大変なんですね。

今日、皆様に1つ申し上げたいのは、その『時事放談』がらみのお話です。それは「何であんな番組にお前はずっと出ているのか」という、まあ多分皆さんは面とむかってはおっしゃらないけれども「毎週見てますよ」と言うその顔の後ろにある聞きたいことです。私10年この番組をやりました。そして、やればやるほど重みというものがわかってくる。何かと言うと、私がやっている社会科学分野の政治学という学問は、私自身は学問であるというよりは「半学問」、半分学問で半分学問でないというふうに先端研に来てから思ってやっております。『時事放談』という番組は、政治家ないしは政治家周辺の人々を、その時点、その時点において観察する、最もいい実験場なんですね。例えばこの10年間で野中広務という人に私はもう何十回と会いましたけれども、その10年間における経年変化。これを、ずっと見ていることによって理解することができる。そして今は、石破茂。石破茂も番組によく出てもらっていますけれども、最初に彼が野党の時代から始まって与党の時代を経験して、しかし結局その安倍内閣にいられないで飛び出して、そして今もう一遍元気になるかなというところのそのプロセスも、結局こういうものを通じて、ずっと観察することによって分かってくるのです。

何が大事か、何が半学問かと言いますと、私たちは政治学とか威張って言っておりますけれども、政治家と接し、政治家の中身を本当にリアルタイムに見ているということはないわけです。だから理論に走れば思想とか哲学の話になりますが、現実を見る場合はそれでは収まりません。つまり、私がなぜ先端研に来てから自分の学問を半学問と思ったかということの1つの理由は、いわゆる理科系の先生方がやっている、そのやっているものを私は理解はできませんが、どこかで触れ合うところがあるということに、ある時、気が付いたからです。

それは何かと言うと、東日本大地震があった時に、復興庁との協力プロジェクトで多くの先端研の先生方に、「あの地震の時には」というインタビューを、オーラル・ヒストリーの一環としてやらせてもらいました。その時に確信を強めたんです。「やっぱりプロセスが大事なんだ」と。インタビューした先生方が最終的な結論をどのように求められるかはわからないけれど、プロセスのところは面白い。つまり、あるプロセスで「こうかな、ああかな」ということを考えるという、我々はそこに接触していくことが大事なんだなというふうに思いました。

ですから、いまだに私がやっていることは半学問です。しかし半学問ですが、先端研に来て本当に思ったのは、そういったプロセスに触れることの重要性です。そして、先端研でいろいろな分野の先生に触れました。例えば、私のオーラル・ヒストリーの中で言えば、廣瀬通孝先生(工学系研究科教授)との「記憶というものをどうやったら再生できるのか」という研究。これについても、一緒に研究しても絶対的な回答はありませんでした。でも私がフラットに考えていたよりはるかに、人間の記憶の再生の仕方には微妙なものがあるということが分かりました。こんなことを含めて、私のオーラル・ヒストリーという学問は、先端研の中でもっと拡大をし、もっと深くなっているという感じがしています。

そこでもう1つだけお話をして、この話を締めくくります。2年前に私は「数学会」という数学の研究の総本山にあることを頼まれました。何を頼まれたかと言うと、「あなた、オーラル・ヒストリーをやってるでしょ? 数学者のオーラル・ヒストリーをやってほしい」と言われたんです。これはさすがに考えた。数学、最も苦手ですからね。そんな所に行って話がわかるわけがないだろうと。ただ、好奇心旺盛ですから、「どこに行ってもいい。その代わり1週間レジデントで毎日数学者と会う」という何か拷問のような話でしたけれども、私はそれならやっぱり京都がいいなと思って京都大学の数学科、あそこには研究所と両方ありますから、京都を選んで行きました。まあ、とにかく用意してくださった内容がすごいですね。月曜日から金曜日まで朝の8時半スタート。夕方の5時半まで毎時間毎時間違う人の研究室を訪れて、私はその人にオーラルをやるわけです。老若、随分いろんな人に会いました。そこでわかったことが1つあります。それは、数学者の人たちにとって何が重要かと言うと、彼らも、きちんとした解法を行って解が求められることが大事なんじゃない。その解法にいくまでの間の流れ、つまりそこにたどりつくまでの間の、先ほどから申し上げているような流れと言いますか、つまり解にたどりつく間のその中途の過程、プロセス、これをいかに大事にしているかというのが徐々に見えてきたわけです。

だから彼らは学生の頃から、ごく短い時間であっても海外へ行き、海外の数学者と話をする。国内においても国内のどこかに飛び、その数学者と話をする。結論を聞いているわけじゃない。彼らが今研究をしていることのプロセスを聞くことによって、自分のプロセスをもう一つ大きくすることができるということなんですね。それを私は学びました。ですから先端研で、私ももうロートルでありますけれども、あとに残された時間というものがあるとするならば、このプロセスと接するということを通じて私の政治学という、今は「半学問」ですが、これをできれば半を取って学問にしたい。これが、私が今思っていることであります。「やめろ」と言っておりますので、ここでやめます。一応話としては落ちが付いたつもりでおります。どうもありがとうございました。

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