1. ホーム
  2. ニュース
  3. 先端研ニュース
  4. 先端研紹介動画「The Beatitudes」制作の舞台裏 広報誌『RCAST NEWS』113号掲載

先端研紹介動画「The Beatitudes」制作の舞台裏 広報誌『RCAST NEWS』
113号掲載

  • 先端研ニュース

2021年7月19日

音楽が寄り添う、次への物語

ナレーションは一切なし。流れるのは風景と音楽のみ。現実でありながら別世界に見える先端研の紹介動画『The Beatitudes』。なぜ、あの動画なのか。何を伝えたかったのか。
そこに込めた思いを、制作を統括した先端アートデザイン分野アートラボ・近藤薫特任教授と(株)オクタヴィア・レコードのエンジニア・村松健さんに伺いました。

先端研にある時計台・13号館入口前の広場で東京フィルのメンバーが演奏している写真

テクノロジーとリアルの融合『The Beatitudes』

―動画は駒場リサーチキャンパス公開の企画が発端だそうですね。

近藤 薫 特任教授(以下、近藤)
はい。2018年からキャンパス公開で『時計台コンサート』を開いています。『時計台コンサート』は13号館エントランスをステージに見立てた屋外コンサートです。通常の屋外演奏は音が散ってしまい、奏者には出している音が聞こえず、お客さまに聞こえている音もイメージできませんが、13号館前にはヒマラヤスギがありますよね?あのヒマラヤスギが天然の反響板になり、奏者にも葉っぱで跳ね返った、とても心地いい音が聞こえます。2020年はコロナ禍のため中止になったので動画を考えました。せっかくなので先端研全体を紹介しながら先端アートデザイン分野が目指す「Nature-Centered」な未来を描く動画を作ろうという話になり、村松さんにご相談しました。
村松 健 氏(以下、村松)
演奏動画であれば私たちの領域ですが、いただいたお話はPR動画でした。演奏と組織紹介の割合や曲に合わせる映像など着地点が悩ましく、映像ディレクターの白川さんと一緒に考えました。
近藤
『The Beatitudes』は、あらかじめ録音された4重奏にライブの4重奏を合わせて演奏する8重奏で、「テクノロジー」による録音演奏と「リアル」な生演奏が融合して新たな世界をもたらす楽曲です。でも、選曲時に「テクノロジーとリアルの融合」を意識していたわけではなく、「この曲が絶対にやりたい」という思いだけでした。計算した選曲と言えば説得力があるでしょうけど…。日々、テクノロジーとアートの関係を考えているので、無意識に何か蓄積されていたのかもしれません。

完璧ではない音がいい

―オクタヴィア・レコードさんと組まれた理由は何でしょう?

近藤
オクタヴィアさんに出会うまで、演奏と録音を完全に切り分けて考えていました。普段はコンサートホールで生の音を出しますし、ホール自体も楽器のようなものです。奏者は反響などホールの特性を感じて自分たちに聞こえる音から客席に届く音を想定し、無意識に演奏を調整します。一方、録音された演奏は耳で聞いていた音と差がある。だから別物と考えていました。最初の緊急事態宣言の時にリモートでベートーヴェンの『運命』を演奏するプロジェクトがあり、その担当者が村松さんでした。オクタヴィア・レコードといえばクラシック音楽業界のトップランナーです。リモートでは不可能と思われていた『運命』で、奏者がメトロノームを使わなくてもピタッと合い、音楽性も見事に表現されていた。考えが変わりました。

―レコーディングで大きな違いが出るものですか?

村松
音楽ジャンルにもよりますが、レコーディングの主な要素は、マイクを置く「マイキング」、収録する「レコーディング」、エンジニアが収録した音を調整する「ミックス」で、担当者の個性や感性が最も顕著なのがミックスです。仕事によっては個々の作業すべてを異なる人が行い、ミックスのみ私が担当することもあります。その場合、完成した音の8割くらいはエンジニアの個性が出ています。ただ、現場で大切なのはコミュニケーションでしょうね。
近藤
音は言葉にできないので、「少し天井が高い」といった表現しかできず、目指す音を伝えるのは本当に難しい。言葉にした瞬間に情報が限定されてしまうところを感覚的に共有してもらえるのがありがたいです。
村松
オーケストラの演奏でも映画とクラシックではアプローチが全く違います。クラシックは、できる限り自然に、オーセンティックに、過度な味つけをしないよう心がけています。アーティストや奏者が表現しようとするものを録りこぼさない。それが私たちのポリシーです。商業音楽では作品の最終イメージに向かって編集するため、聞く人は作り込んだ音の方が好みで心地よかったりします。クラシックの場合、過度な編集は奏者の意図を変えてしまう可能性があり、そこが難しいですね。
近藤
人間は不完全なものですよね。演奏も人間が行いますから、パーフェクトならいいかというと少し違う気がします。
村松
クラシックはあらゆるところで同じ曲が演奏されるので、例えばベートーヴェンの『運命』は過去から現在までの演奏が山ほどあります。でも私は、その人がその場所でその時にした演奏を楽しむのが正解だという気がしていて…。音はいくらでも編集できますが、作り込まれた音に飽きてしまうこともあります。私の場合は、完璧さより少しミスがあっても勢いがあるような、人間味のある音にグッときます。世界が平均化してどの国でも同じような演奏が聞ける時代ですが、一部の人たちの間では昔の型破りな演奏が人気になっています。興味深いですね。

「見えない行為」の見えない力

―制作現場ではどんな苦労がありましたか?

近藤
外での撮影があり予備日も含め3日間必要でしたが、奏者8人のスケジュール確保が不可能でした。高い技術を持つ奏者は1年先まで予定が入っています。私も3日空けるのが厳しかった。結局8人揃う日は1日で、残りは絵コンテに合わせてパズルのようにスケジュールを組みました。
村松
音自体は全員が揃った1日を使ってENEOSホールで録りました。
近藤
「初めまして」の後、リハーサルなしでの演奏です。あの曲、譜面には四分音符と八分音符くらいしかなく一見簡単ですが、演奏は難しかった。ずっと同じメロディーで、ピュアというかあまりにシンプルがゆえに、奏者の癖や性格、体調、宗教観が出てしまいます。クラシックはキリスト教の影響を受けていますが、私自身はクラシックはキリスト教の文脈を超えたところ、宗教を超えたところに本質があると解釈しています。現場では他の奏者が宗教曲の解釈で弾いていて、全体を調和させるのに苦労しました。一方、撮影では「空の方を見ながらちょっと揺れて弾いてください」と指示されましたが、実際に演奏する時、特に今回のようなゆっくりした曲はものすごく音に集中するので、揺れたりしません。しっくりこなくて、いつものように弾きたいと提案して撮ってみたら、白川さんも「これが断然いい」とおっしゃった。他の奏者も、絵だけ撮るからか妙な笑顔で弾いたりしたので「スピーカーの音に集中してください」とお願いすると、やっぱり自然になりました。不思議ですよね。奏者が耳を使う行為自体は目に見えないのに、演奏する姿が自然に見えて、音楽ともつながる。それは映像からも伝わると思います。

「何かある」と感じたところの正体

―動画の中で好きなシーンはありますか?

村松
13号館前から上昇し時計台を旋回して戻ってくる、ドローンで撮ったシーンです。

13号館入口前の広場で演奏風景を撮影している様子の写真

近藤
私もです。ドローンを旋回させて同じ場所に着陸する操縦はとても高度らしく、私がこの案を出した時、白川さんは「何を言ってるんですか?」という表情でした。夜11時の打ち合わせで、白川さんはあの後、眠れなかったんじゃないかな?結果、GPSを駆使して実現しましたが、当日の朝も「失敗する確率は5割」と言っていました。『The Beatitudes』はわかりにくい曲です。少しずつ音が重なっていきますが同じメロディーの繰り返しで、抑揚もない。でも「ここに何かある」と感じる箇所があって、そこに映像のハイライトを持ってきたかった。私は黄金比※1は視覚的空間だけでなく時間感覚にも当てはまると思っていて、後で小節数を数えたらドローンの映像のところがピッタリ黄金比になっていました。世界が大きく変わる時、私たちの視点はぐっと上がり、世界観が変わる。そして現実を変えていく。人の目線が上に向き、俯瞰して世界を見渡し、戻ってくる。空へと上がる時、13号館前には誰もいません。地上に戻ると奏者がいる。新たな物語の始まりです。
村松
動画では奏者が現れたり消えたりします。先端技術や研究の場に音楽が寄り添うという意味で、妖精のように登場させたんですよね。
近藤
目の前にある芸術作品は表出した一側面に過ぎず、芸術そのものはその後ろにあります。音楽も同じで、聞こえる音は音楽の一部でしかありません。先端研に先端アートデザイン分野ができたことは目に見える事象ですが、私たちが先端研にいる意味、先端研の中に音楽が入る意味は、もっと目に見えないところにあるはずです。私は一人の奏者として近藤薫という存在がないほうがいいと思っているんです。音としての存在でありたいというか。

―次の動画を作るとしたら、どんなチャレンジをしますか?

村松
夜にヒマラヤスギの前で録りたいですね。現場は大変でしょうが、奏者がいいと感じる場所はいい音が録れます。
近藤
森がいいですね。何十チャンネルもあるドルビーアトモス※2で、マイクも奏者だけではなく、森とかいろいろな方向に置いて。
村松
森の中は音響的にも面白い場所です。音が絶妙な具合で拡散して、いい響きになるはずです。
近藤
先端アートデザイン分野にぴったりです。
村松
ただし、雨が降ってない日、風がない日ですよ。
  • ※1 フィボナッチ数列によって導き出され、人類が最も美しいと感じるとされる比率。自然界にも多く見られる。
  • ※2 平面的ではなく立体的な音場を体感できる音声フォーマット。作品への没入感を音響で高めるため、「イマーシブ(没入型)サウンド」ともいう。
  • 近藤薫特任教授の写真

    先端アートデザイン分野
    近藤 薫 特任教授

  • オクタヴィアレコードの村松健さんの写真

    (株)オクタヴィア・レコード
    村松 健 氏

『The Beatitudes』

作曲:Vladimir Martynov
プロデュース:近藤 薫
録音・音響:村松 健
映像ディレクション:白川 賢治
制作協力:株式会社オクタヴィア・レコード
TOKYO VIDEO

聞き手・構成:山田 東子(先端研 広報・情報室)

ページの先頭へ戻る