反超放射で量子ビットを守る
― 量子ビット寿命の原理的限界を打破 ―
- プレスリリース
2020年1月28日
国立研究開発法人 理化学研究所
国立大学法人 東京大学
国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)
- 量子コンピュータでは、量子ビットへの個別アクセスのため、量子ビットを制御線へと結合させます。この結合に由来する量子ビットの短寿命化は、原理的に不可避であると考えられてきました。
- 制御線に非線形フィルタを強く結合させることにより、量子ビットの短寿命化を阻止できることを発見しました。その動作原理は反超放射と呼ばれる量子干渉効果です。
- この量子ビットの長寿命化方式は、既存の量子コンピュータでは全く考慮されていなかったものです。超伝導量子コンピュータなど、固体系量子ビットを用いる量子コンピュータに応用可能です。
量子コンピュータでは、個々の量子ビットに個別に量子ゲート※1操作を行うため、量子ビットを制御線へと結合させますが、この結合に由来する量子ビットの短寿命化は、原理的に不可避であると考えられてきました。東京医科歯科大学教養部の越野和樹准教授、理化学研究所創発物性科学研究センターの河野信吾基礎科学特別研究員、東京大学先端科学技術研究センターの中村泰信教授の研究グループは、制御線に非線形フィルタを強く結合させることにより、量子ビットの短寿命化を阻止できることを発見しました。この研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)「中村巨視的量子機械プロジェクト」(研究総括:中村泰信、JPMJER1601)、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)JPMXS0118068682、ならびに文部科学省科学研究費補助金(19K03684、26220601)の支援の下で行われたもので、その研究成果は、国際科学誌Physical Review Appliedに、2020年1月27日午後0時(米国東部時間)にオンライン版で発表されました。
量子コンピュータは量子ビットと呼ばれる二つのエネルギー準位をもつ物理系の集合体であり、天然あるいは人工的な原子が量子ビットの有力な候補の一つです。個々の量子ビットの状態は基底状態|0>と励起状態|1>の重ね合わせとして表され、量子情報として用いられます。超伝導量子コンピュータでは超伝導量子ビットと呼ばれる微小な電気回路が人工原子の役割を果たしています。超伝導量子ビットに対するゲート操作はマイクロ波領域の周波数をもつゲートパルスを照射して行いますが、量子コンピュータでは多数の量子ビットに個別にアクセスする必要があるため、各々の量子ビットに制御線と呼ばれるマイクロ波照射用の導波路を結合させ、そこからゲートパルスを照射します。
ところが、量子ビットと制御線との結合は、量子ビットの自然放出※2を誘発してしまうため、量子ビットの寿命を短くしてしまいます。これを避けるために量子ビットと制御線との結合を弱くすると、確かに量子ビットの寿命を延ばすことはできますが、逆にゲートパルスと量子ビットの相互作用が弱くなり、ゲート操作に要する時間(ゲート時間)が長くなります。これは量子コンピューティングに不利です。このように、量子ビットの寿命とゲート時間との間にはトレードオフの関係があるため、量子ビットの制御線への結合に由来する自然放出は原理的に不可避であると考えられてきました。
通常の超伝導量子コンピュータでは、制御の対象となる量子ビット(データ量子ビット、以下DQ)に制御線を結合させ、そこからゲートパルスを照射します。この方式では、DQから制御線への自然放出が常に起こり、DQが保持する量子情報が徐々に劣化してしまう欠点があります。研究グループは、制御線上に非線形フィルタ(ジョセフソン量子フィルタ、以下JQF)を結合させた状況(図1)での、DQへのゲート操作を解析しました。JQFはDQと同じ共鳴周波数※3をもつ量子ビットであり、DQとJQFの間隔は、共鳴波長※3の半分程度(数ミリメートル)になるように設定します。
ゲートパルスが照射されていない間は、JQFは制御線への強い結合のために、最もエネルギーの低い状態である基底状態|0>へと素早く緩和します。すると、DQが励起状態|1>にあったとしても制御線への自然放出を起こさなくなります(図2)。その理由はDQおよびJQFからの仮想的な自然放出光の破壊的干渉であり、反超放射(subradiance)※4と呼ばれる量子力学的な効果です。一方でDQが基底状態|0>にある場合には、DQはそもそも自然放出を起こしません。つまり、JQFの効果により、DQはどのような状態にあっても制御線へと緩和しなくなり、DQの保持する量子情報が守られます。
すると逆に、制御線から照射するゲートパルスがJQFに遮断され、DQへのゲート操作ができなくなることが懸念されます。ところが、DQへのゲートパルスを照射すると、JQFはこのパルスと強く相互作用して吸収飽和※5 を起こし、すぐに基底状態|0>と励起状態|1>を半々の確率で占める状態(混合状態)になります。この状態ではJQFはマイクロ波を完全に透過させます(図3)。つまり、ゲートパルス照射中にはJQFは自動的に透明になり、 DQに対する素早いゲート操作を可能にします。
このように、従来の制御方式ではDQの保持する量子情報は自然放出のため常に劣化していましたが、 JQFを用いることによりゲートパルス非照射中のDQの劣化を完全に抑えることができます。図4は、DQに対してノットゲート(量子ビット反転)を繰り返しかける場合に、DQが励起状態|1>にある確率の時間発展を示したグラフです。DQに全く緩和のない理想的な場合には、励起確率は0または1の値を交互に取り続けるはずですが、従来方式ではDQの自然放出のために徐々に振動が鈍っていきます(青点線)。この状況でJQFを活用すると、振動の明瞭度が著しく回復します(赤実線)。
【研究成果の意義】
これまでは、本研究のようにデータ量子ビットへの制御線に別の量子ビットを結合させると、二つの量子ビット間に不要な相互作用が生じてしまいゲート操作の正確性を損ねるものと考えられていました。本研究では、二つの量子ビット(データ量子ビットとジョセフソン量子フィルタ)が同じ制御線に結合していても、結合強度に大きな違いがある場合には量子コンピューティングに極めて有用であることを明らかにし、従来の常識を覆しました。本研究で提案するジョセフソン量子フィルタには、(1)それ自体には制御を必要としない受動性のデバイスである、(2)データ量子ビットとの空間的距離を厳密に制御する必要がない、(3) データ量子ビットと巨視的に離れているため両者間の意図しない相互作用がない、という特長があり、多数の量子ビットをもつ複雑な量子コンピュータ回路に組み込むのが技術的に容易です。また、本研究で提案する量子ビットの長寿命化方式は既存の超伝導量子コンピュータでは全く考慮されなかったものであり、直ちに量子コンピュータの計算能力を向上することが期待されます。
※1 量子ゲート
量子ビットに対する論理ゲート。代表的なものにNOTゲートや制御NOTゲートがある。量子ビットはベクトルとして表現され、量子ゲートはそのベクトルに作用するユニタリ行列として表現される。
※2 自然放出
励起状態|1>にある天然あるいは人工の原子が、光子を放出して基底状態|0>へと緩和する現象。量子ビットに制御線を結合させると、制御線への自然放出が誘発される。
※3 共鳴周波数・共鳴波長
量子ビットの励起状態と基底状態のエネルギー差に相当するマイクロ波の周波数および波長。エネルギー差をE、共鳴周波数をf、共鳴波長をλとすると、f=E/h、λ=v/fの関係がある。ただし、hはプランク定数、vは導波路中のマイクロ波伝播速度(真空中の光速度の約0.4倍)である。超伝導量子ビットでは、共鳴周波数は5ギガヘルツ程度、共鳴波長は20ミリメートル程度である。
※4 反超放射
励起状態にある複数の原子が共鳴波長と比べてはるかに狭い範囲内にある時に、原子が単独で存在する場合よりも速く自然放出を起こす。この現象を超放射(superradiance)と呼ぶ。同じ状況において、原子が超放射の場合と異なる量子状態にある時、単独の場合よりも自然放出が遅くなったり、あるいは全く自然放出を起こさなくなったりする。この現象を反超放射(subradiance)と呼ぶ。
※5 吸収飽和
量子ビットはたかだか一個の光子しか吸収することができないため、量子ビットの緩和レートよりもマイクロ波光子の流束(単位時間当たりに飛来する光子数)が大きい状況では、量子ビットは光子を吸収しきれない。このような状況を、吸収飽和を起こしていると呼ぶ。
掲載誌: Physical Review Applied
論文タイトル: Protection of a qubit via subradiance: A Josephson quantum filter
【研究者プロフィール】
越野 和樹 (コシノ カズキ) Koshino Kazuki
東京医科歯科大学 教養部 物理学分野 准教授
・研究領域 量子光学理論
河野 信吾 (コウノ シンゴ) Kono Shingo
理化学研究所 創発物性科学研究センター 超伝導量子エレクトロニクス研究チーム 基礎科学特別研究員
・研究領域 超伝導量子回路実験
中村 泰信 (ナカムラ ヤスノブ) Nakamura Yasunobu
東京大学 先端科学技術研究センター 量子情報物理工学分野 教授
・研究領域 超伝導量子回路実験
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