コロイドの粘弾性相分離を律速する溶媒の流れの役割を解明
- プレスリリース
2025年1月17日
発表のポイント
- コロイドが濃い相と薄い相に相分離する際、濃い相でのコロイドの込み合いに起因した粘弾性効果が顕著となり、コロイドの運動と溶媒の流れが複雑に絡み合うため、その物理的なメカニズムは十分に理解されていなかった。
- 今回、溶媒の流れを考慮する場合としない場合についてシミュレーションを行い、コロイドのクラスター型とネットワーク型の粘弾性相分離を研究した。その結果、それぞれの律速過程がクラスターの熱拡散とネットワークの力学緩和であり、これらの過程が流れの有無によって異なる影響を受けることを定量的に明らかにした。
- この結果は、コロイドの粘弾性相分離に関する簡潔な物理的描像を提供するものであり、液体やソフトマテリアルの相分離における産業応用や、細胞内相分離を含む生体内のさまざまなパターン形成の理解に新たな視点を与えるものと期待される。

概要
東京大学先端科学技術研究センター高機能材料分野の田中肇シニアプログラムアドバイザー(特任研究員/東京大学名誉教授)、舘野道雄特任助教(研究当時、現カリフォルニア大学研究員)、ユアン ジャアシン特任研究員(研究当時、現香港科学技術大学助教)の研究グループは、数値シミュレーションにより、コロイド分散系(注1)の粘弾性(注2)相分離(注3)を研究し、相分離構造の成長速度を特徴づける成長指数νが、溶媒の流れの影響によりどのように決定されるかを明らかにしました。
より具体的には、クラスター型相分離(図1a)では、溶媒の流れを考慮した場合の成長指数 ν は、ブラウン凝集則(注4)の予測(ν=1/3)と一致するのに対し、流れを考慮しない場合はクラスターのブラウン運動(拡散係数)が過小評価され、指数が小さく(ν=1/5)なること(図2a)を示しました。また、ネットワーク型相分離(図1b)においては、流れを考慮する場合には指数が ν=1/2、無視する場合には ν=1/3 を示し(図2b)、これらの指数はネットワークの粘弾性緩和により説明されます。成長指数の違いは、力学緩和が溶媒の浸透流を伴うか、または自由排水を伴うか(注5)によって説明されることが明らかになりました。
これらの成果は、溶媒による局所的な流れがコロイドの相分離速度に大きな影響を与えることを明確に示したものであり、ソフトマター系の相分離現象に関する基礎的な理解を深めるだけでなく、近年注目されている細胞内相分離の研究や、相分離を応用した材料合成の分野にも貢献することが期待されます。
本成果は2025年1月15日(オランダ時間)に「Journal of Colloid And Interface Science」のオンライン版で公開されました。


ー研究者からのひとことー
低分子液体混合系の相分離は液液相分離とも呼ばれ、統計物理やソフトマター物理の中心的な課題として長年研究されてきました。20世紀後半には、相分離構造の成長メカニズムに関する系統的な理解が確立されています。本研究により、コロイド相分離と液液相分離の類似点と相違点が整理され、コロイド相分離に特有の物理メカニズムの存在が明らかになりました。この知見は基礎物理学のみならず、多くの球状タンパク質がコロイドとして振る舞うことから、生体分子の自己組織化の研究や相分離の産業応用など、幅広い分野への応用が期待されます。(田中肇シニアプログラムアドバイザー)
発表内容
サラダドレッシングをよく振ると、小さい液滴が現れ次第に大きくなる様子を観察できます。このような相分離現象は非常に幅広い物質群で見られ、微粒子やエマルジョン、球状タンパク質などが溶媒中に分散した系の総称、いわゆるコロイド分散系にも共通する現象です。通常、コロイド系は適当な温度では、溶媒中に均一に分散しますが、温度が低下するとコロイド同士の引力の効果により、粒子濃度が薄い相(気相)と濃い相(液相)に相分離します(図1)。
相分離が起こるか起こらないかのぎりぎりの温度である臨界点温度近傍では、気体・液相とも濃度がほとんど変わらないため粘性流体として振る舞い、コロイドの相分離のダイナミクスは、サラダドレッシングのような低分子液体混合系(たとえば、水と油の混合系)の相分離と類似に扱うことができることが古くより知られていました。具体的には、相分離によって形成される構造(ドメイン)の特徴的なサイズ l が時間tに対し l~t^ν のようにべき的に成長し、この成長 ν がクラスター型相分離で1/3(ブラウン凝集則または蒸発・凝縮則)、ネットワーク型相分離では 1(流体管の不安定化則) と予測されることが知られています。
しかし、低温条件下では、液相中のコロイドが密にパッキングされるため、このような粘性液体に基づく単純な描像は成り立たず、濃い相の遅い運動に起因する粘弾性的応答を考慮することが重要となります1,2。このような状況下では、コロイド粒子の運動に連動して、周囲に複雑な溶媒流れが生じることが予想されますが、このようなコロイドと溶媒の運動の結合が相分離速度に与える影響についての理解は十分ではありませんでした。
今回、研究グループは粒子ベースのシミュレーションを用い、溶媒流れを考慮する場合としない場合における低温でのコロイド相分離を研究し、両者を比較しました。前者では流体力学(Navier-Stokes)方程式を直接解く流体粒子動力学法3を用い、後者では流れの影響を一定の摩擦係数として扱うブラウン動力学法を採用しました。これらのシミュレーションを粘弾性効果が顕著な低温条件下で、クラスター型相分離(図1a)とネットワーク型相分離(図1b)の場合に実施し、理論的解析を行った結果、以下の知見を得ました。
クラスター相分離の場合、成長指数 ν は溶媒流れありで 1/3、なしで 1/5 と見積もられました(図2a)。流れありの成長指数 1/3 は、低分子液体混合系のブラウン凝集則(注4)の予測と一致し、クラスター(液相)のブラウン運動が気相(主に溶媒)の粘性流れ場によって制御されることを示す自然な結果です。一方、流れなしの場合の成長指数 1/5 は、ブラウン動力学法で拡散係数が過小評価される影響をブラウン凝集則に適用することで説明できます。
一方、ネットワーク相分離の場合、成長指数 ν は溶媒流れありで 1/2、流れなしで 1/3 と見積もられました(図2b)。これらの指数はネットワーク(液相)の粘弾性緩和によって予測され、その違いは、緩和が溶媒の浸透流を伴うか、あるいはその影響が無視できる(自由排水)かによって説明されます。
具体的には、溶媒流れを考慮する場合、液相中のコロイドと溶媒の相対速度、すなわちネットワークが変形する際に溶媒がコロイド間の隙間を通る流れが相分離速度を律速します2。この効果により、成長指数は 1/2 となります2。一方、流れなしのシミュレーションでは溶媒の流れを詳細に扱わず、コロイドにかかる摩擦を一定係数で近似したため、ネットワークの粘弾性緩和が溶媒の影響を受けず、コロイドの併進速度だけで決まる結果となり、成長指数は 1/3 に減少します。
本研究は、コロイドと溶媒の複雑な運動結合が粘弾性相分離に与える影響を、簡潔な物理的描像を基に説明し、ドメイン成長の律速過程において、この結合が重要な役割を果たすことを明らかにしました。溶媒流れの影響を単純化したブラウン動力学法は、さまざまなソフトマター系のシミュレーション研究で広く使用されていますが、今回の結果はこの方法の本質的な限界を浮き彫りにし、その欠点に対する明確な視点を提供します。
また、粘弾性相分離は臨界点から外れたソフトマター系の相分離に広く見られる現象であり、食品、化粧品、ゾル-ゲル合成におけるネットワーク構造や多孔質構造の形成などの産業用途に加え、生体内でのメッシュ状凝集体の形成にも深く関連しています。これにより、幅広い産業分野や学問分野への貢献が期待されます。
参考文献
1) Tanaka, H. Viscoelastic phase separation. J. Phys.: Condens. Matter 12, R207 (2000).
2) M. Tateno and H. Tanaka, Power-law coarsening in network-forming phase separation governed by mechanical relaxation, Nat. Commun. 12, 912 (2021); 東京大学生産技術研究所プレスリリース「ネットワーク状の相分離構造の新たな成長則を発見」(2021年2月10日)https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/3484/
3) H. Tanaka and T. Araki, Simulation method of colloidal suspensions with hydrodynamic interactions: Fluid particle dynamics, Phys.Rev.Lett.85,1338 (2000).
発表者・研究者等情報
東京大学先端科学技術研究センター高機能材料分野
- 舘野 道雄 研究当時:特任助教
- ユアン ジャアシン 研究当時:特任研究員
- 田中 肇 シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)/東京大学名誉教授
論文情報
雑誌名:Journal of Colloid and Interface Science
題名:The impact of colloid-solvent dynamic coupling on the coarsening rate of colloidal phase separation
著者名:Michio Tateno, Yuan Jiaxing and Hajime Tanaka* *責任著者
DOI:10.1016/j.jcis.2025.01.004
研究助成
本研究は、文部科学省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)、若手研究(JP20K14424)、国際共同研究推進(JP21KK0098)、海外特別研究員制度の支援により実施されました。
用語解説
- (注1)コロイド分散系
ナノ・マイクロメートル程度の大きさの微粒子(コロイド)が溶媒中に分散した系で、広義に固体・気体微粒子やエマルジョン、球状タンパク質などを含みます。 - (注2)粘弾性
分子の遅い運動に起因して、短時間では弾性的な、長時間では粘性的な力学応答を示すことがあります。このような性質は粘弾性と呼ばれ、コロイドや高分子等の巨大分子の系に顕著に現れます。 - (注3)相分離
相分離とは、粒子間の引力相互作用が熱運動によるランダムな運動よりも支配的になることによって、均一に分散していた系が複数の異なる相に分かれる現象を指します。 - (注4)ブラウン凝集則
クラスターがある程度密に分布している場合、熱拡散運動(ブラウン運動)によりドロップレット同士が衝突・合体を繰り返し、クラスターが成長します。この過程は、 Smoluchowski の衝突・合一機構に支配されます。クラスターの大きさとブラウン運動の速さ(拡散係数)の関係はStokes-Einstein則に従って表され、これに基づいて成長指数は 1/3 となります。 - (注5)浸透流/自由排水
濃密に詰まったコロイドの集合体が変形する際、溶媒は密に詰まったコロイド同士の隙間を縫うように流れ、この現象を浸透流と呼びます。一方、溶媒の流れの詳細を無視したブラウン動力学法では、コロイドの集合体の変形は溶媒の影響を受けず、いわゆる自由排水として扱われます。
問合せ先
東京大学 名誉教授
東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野
シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)田中 肇(たなか はじめ)