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大腸菌Xの献身
―Retron-Eco7による抗ウイルス防御機構を解明―

  • プレスリリース

2025年12月3日

東京大学

発表のポイント

  • 大腸菌はRetron-Eco7と呼ばれる抗ファージ防御機構を持つが、その作動メカニズムは長年不明であった。
  • クライオ電子顕微鏡を用いた構造解析により、Retron-Eco7が特殊なRNA–DNAハイブリッド分子(msDNA)を用いて毒性タンパク質PtuA–PtuBの活性を抑制する分子機構が明らかになった。
  • ファージ由来D15ヌクレアーゼがmsDNAを切断すると、PtuA–PtuBが活性化し、大腸菌のtRNATyrが切断され、細胞死が引き起こされることが示唆された。
  • 本研究は、細菌が持つ多様な抗ファージ防御システムの理解を深めるものである。
Retron-Eco7による抗ファージ防御機構
Retron-Eco7による抗ファージ防御機構

概要

東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻の石川潤一郎大学院生、米山幹太大学院生、先端科学技術研究センターの西増弘志教授らの研究チームは、国立健康危機管理研究機構の氣駕恒太朗博士、東京大学大学院工学系研究科の鈴木勉教授らと共同で、大腸菌の持つRetron-Eco7が抗ファージ(注1)防御機構として機能する分子メカニズムを解明しました。Retronは1980年代に細菌から発見された遺伝要素であり、逆転写酵素(RT)(注2)非コードRNA(ncRNA)(注3)、および、様々なエフェクタータンパク質(注4)から構成されます。RetronにコードされたRTがncRNAを鋳型として逆転写することで、特殊な構造を持つRNA–DNAハイブリッド分子(msDNA)が産生されることが知られていましたが、その生物学的役割は40年近く不明のままでした。しかし、最近の研究から、Retronはファージ感染に対する防御機構として機能することが明らかになってきました。多様なRetronの中でも、大腸菌のRetron-Eco7はエフェクタータンパク質としてPtuAとPtuBを持ちますが、その作動メカニズムは不明でした。今回、研究チームは、PtuAとPtuBが毒性を示す複合体を形成し、大腸菌の生育を抑制することを明らかにしました。さらに、クライオ電子顕微鏡(注5)を用いた構造解析の結果、PtuA–PtuB複合体はRT–msDNA複合体と結合し、RT–msDNA–PtuA–PtuB複合体(Retron-Eco7複合体と命名)を形成し、PtuA–PtuB複合体の毒性が抑制されていることがわかりました。一方、ファージが大腸菌に感染すると、ファージ由来のD15ヌクレアーゼ(注6)がRetron-Eco7複合体中のmsDNAを切断し、PtuA–PtuB複合体がRT–msDNA複合体から解離し、大腸菌のチロシンtRNA(tRNATyr)(注7)が切断され、細胞死が引き起こされることが明らかになりました。すなわち、Retron-Eco7は、ファージに感染した大腸菌が自ら死ぬことでファージの増殖を抑え、細菌集団全体を感染から防御する集団免疫機構として機能することが明らかになりました。本成果は、2025年12月2日(英国時間)に英国科学誌「Nature Communications」オンライン版に掲載されました。

-研究者からのひとこと-

ファージとの軍拡競争の中で進化してきた原核生物の感染防御機構には、予想外の構造・機能が潜んでおり、その巧妙さには常に驚かされます。博士課程初期から共同研究者とともに取り組んできた思い入れの深い研究を発表でき、とても感慨深く感じています。(東京大学大学院工学系研究科 石川潤一郎 大学院生)

自分が博士課程に進学するきっかけにもなった研究が論文として発表でき、とても嬉しいです!(東京大学大学院工学系研究科 米山幹太 大学院生)

実に面白い。(東京大学先端科学技術研究センター 教授 西増弘志)

発表内容

Retronは原核生物が持つ遺伝要素で、逆転写酵素(RT)、非コードRNA(ncRNA)、および、多様なエフェクタータンパク質から構成されます(図1)。RTがncRNAを鋳型として逆転写し、マルチコピー一本鎖DNA(msDNA)と呼ばれる特殊な構造を持つRNA–DNAハイブリッド分子が産生されることが1980年代に報告されていました(図1)。しかし、Retronの生物学的役割は40年近く不明でした。しかし、最近の研究から、Retronがファージ感染防御に関与することが明らかになってきました。本研究では、大腸菌が持つRetron-Eco7に着目し、その抗ファージ感染防御機構を詳細に解析しました。

まず、Retron-Eco7を構成するRT、ncRNA、PtuA、PtuBを大腸菌に発現させたところ、ファージに対して防御活性を示すことがわかりました(図2)。一方、PtuA( ATPアーゼ(注8))およびPtuB(ヌクレアーゼ)の酵素活性を失活させると防御活性が消失しました。さらに、PtuA–PtuBを大腸菌に発現させると生育が阻害されましたが、RT–ncRNAと共発現させると生育阻害は観察されませんでした(図2)。これらの結果から、PtuA–PtuBは毒性因子(トキシン)として働き、RT–msDNAはPtuA–PtuBの毒性を抑制する因子(アンチトキシン)であることが示唆されました。

次に、クライオ電子顕微鏡を用いて、RT–msDNA–PtuA–PtuB複合体(Retron-Eco7複合体)の立体構造を2.7Å分解能で決定しました(図3)。構造解析の結果、2つのPtuAと1つのPtuBがPtuA–PtuB複合体を形成し、2つのPtuA–PtuB複合体がRT–msDNA複合体のmsDNA部分に結合することが明らかになりました。msDNAと相互作用するPtuAのアミノ酸残基を変異させると、RT-msDNA存在下でもPtuA–PtuBが毒性を示したことから、RT–msDNAとPtuA–PtuBの相互作用が毒性の抑制に重要であることが明らかになりました。

また、Retron-Eco7を持つ大腸菌にファージを感染させたところ、大腸菌のtRNATyrが特定の位置で切断されることがわかりました。さらに、この切断はPtuA–PtuBの活性に依存していました。したがって、ファージが感染すると、PtuA–PtuBが活性化することでtRNATyrが切断され、細胞死が引き起こされることが示唆されました(図4)。このように、感染細胞が自ら死ぬ仕組みはアボーティブ感染(abortive infection)(注9)と呼ばれ、細菌集団を守るための代表的な防御機構として知られています。以上の結果から、Retron-Eco7はアボーティブ感染機構を介して抗ファージ防御を実現していることが明らかになりました。

さらに、Retron-Eco7による防御をすり抜けた「エスケーパーファージ」を解析したところ、いずれのファージもD15遺伝子に変異を持つことがわかりました。D15はファージの増殖に関与するヌクレアーゼであり、生化学実験の結果、D15はRetron-Eco7複合体中のmsDNAを切断し、PtuA–PtuBをRT–msDNAから解離させることが明らかになりました。したがって、D15はmsDNAによる抑制を解除する感染シグナル(トリガー)として機能することが示唆されました(図4)。しかし、D15単独ではPtuA–PtuBの活性化に不十分であるため、完全な活性化には他の因子も必要であることが示唆されました。

以上の結果から、Retron-Eco7は高度に制御された抗ファージ防御機構であることが明らかになりました。本研究は、長年謎とされてきたRetronの生物学的機能を解明するものであり、抗ファージ戦略やバイオテクノロジーへの応用につながる可能性が期待されます。

図1:Retronの模式図
  • 図1:Retronの模式図
    RetronにコードされたRTは、ncRNA内にある保存されたグアノシン残基(Branching G)の2′-OHから逆転写を開始する。その後、RTはncRNAの一部領域を鋳型としてDNAを合成し、2′–5′結合を持つ特徴的なRNA–DNAハイブリッド分子であるmsDNAが生成される。
図2:Retron-Eco7の機能
  • 図2:Retron-Eco7の機能
    大腸菌由来のRetron-Eco7は、ncRNAとRTに加えて、エフェクタータンパク質であるPtuA(ATPアーゼ)およびPtuB(HNHヌクレアーゼ)をコードしている。Retron-Eco7(RT、ncRNA、PtuA、PtuB)を発現する大腸菌はファージに対して防御活性を示すが、PtuA変異体(D395A)またはPtuB変異体(H57A)を含むRetron-Eco7では防御活性が消失した。また、PtuA–PtuBを発現させると大腸菌の生育が阻害されたが、RT–ncRNAと共発現させると生育阻害は解消された。
図3:Retron-Eco7複合体の立体構造
  • 図3:Retron-Eco7複合体の立体構造
    Retron-Eco7複合体は1分子のRT、1分子のmsDNA、4分子のPtuA、および2分子のPtuBから構成される。2つのPtuA–PtuB複合体は、主に2つのPtuA二量体とmsDNAの二本鎖DNA領域の間の相互作用を介してRT–msDNA複合体に結合する。特に、PtuAのR126、R163、R171、K180残基がDNA領域と相互作用しており、R126AおよびR163A変異体では、PtuA–PtuB単独発現時と同様の毒性が観察された。
図4:Retron-Eco7による抗ファージ防御機構
  • 図4:Retron-Eco7による抗ファージ防御機構
    通常状態では、RT–msDNA複合体がPtuA–PtuB複合体に結合してRetron-Eco7複合体を形成し、tRNATyrの切断が抑制されている。ファージが感染すると、ファージ由来D15ヌクレアーゼがRetron-Eco7複合体中のmsDNAを切断し、PtuA–PtuB複合体がRT–msDNA複合体から解離する。解離したPtuA–PtuBはtRNATyrを切断し、細胞死または細胞の休眠が誘導される。その結果、アボーティブ感染による抗ファージ防御が達成される。

発表者・研究者等情報

東京大学
 大学院工学系研究科
  石川 潤一郎 博士課程
  米山 幹太 修士課程
  満田 義久 博士課程
  平泉 将浩 助教

  中崎 蓮 博士課程
  長尾 翌手可 講師
  鈴木 勉 教授

 先端科学技術研究センター
  山下 恵太郎 准教授
  西増 弘志 教授
   兼:東京大学大学院工学系研究科 教授

国立健康危機管理研究機構
 国立感染症研究所 治療薬開発研究部
  アア ハエルマン アザム 研究員
  千原 康太郎 研究員
  氣駕 恒太朗 室長

論文情報

雑誌名:
「Nature Communications」(オンライン版:12月2日)
題 名:
Structural mechanism of the Retron-Eco7 anti-phage defense system
著者名:
Junichiro Ishikawa, Kanta Yoneyama, Aa Haeruman Azam, Asuteka Nagao, Yoshihisa Mitsuda, Ren Nakazaki, Kotaro Chihara, Masahiro Hiraizumi, Keitaro Yamashita, Tsutomu Suzuki, Kotaro Kiga*, Hiroshi Nishimasu*(筆頭著者、*責任著者)
DOI:
10.1038/s41467-025-66589-9
URL:
https://www.doi.org/10.1038/s41467-025-66589-9別ウィンドウで開く

研究助成

 本研究は、「特別研究員奨励費(課題番号:23KJ0720)」、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)「創薬等先端技術支援プラットフォーム(BINDS)(課題番号:JP21am0101115)」、「新興・再興感染症研究基盤創生事業(課題番号:23wm0325065)」「革新的先端研究開発支援事業 (課題番号:25gm1610002)」、科研費「基盤研究(A)(課題番号:22H00403)」、「基盤研究(S)(課題番号:25H00436)」「学術変革領域研究(A)(課題番号:21H05281)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業「CREST(課題番号:JPMJCR23B6)」、稲盛財団InaRISフェローシップ、武田科学振興財団「武田報彰医学研究助成」、「ライフサイエンス研究助成」などの支援により実施されました。

用語解説

  • (注1)ファージ
    原核生物に感染するウイルス。バクテリオファージとも呼ばれる。
  • (注2)逆転写酵素(RT)
    RNAを鋳型にしてDNAを合成するRNA依存性DNAポリメラーゼ。
  • (注3)非コードRNA(ncRNA)
    タンパク質に翻訳されないRNA。
  • (注4)エフェクタータンパク質
    RT-msDNA複合体と協働してファージ感染防御を担うタンパク質。
  • (注5)クライオ電子顕微鏡
    液体窒素冷却下でタンパク質などの分子に電子線を照射し、試料の観察を行うための装置。タンパク質や核酸の立体構造の決定に利用されている。
  • (注6)ヌクレアーゼ
    核酸のヌクレオチド間のホスホジエステル結合を切断する酵素。
  • (注7)tRNATyr
    タンパク質合成においてチロシン(Tyr)をリボソームへ運ぶ役割を持つトランスファーRNA。
  • (注8)ATPアーゼ
    アデノシン三リン酸(ATP)の末端高エネルギーリン酸結合を加水分解する酵素。
  • (注9)アボーティブ感染(Abortive infection)
    ファージに感染した細菌細胞が、ウイルスの複製が完了する前に、自ら死ぬまたは増殖を停止することで、ファージの増殖と拡散を阻止する防御機構。

問合せ先

東京大学先端科学技術研究センター 構造生命科学分野
教授 西増 弘志(にします ひろし)

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