1. ホーム
  2. ニュース
  3. プレスリリース
  4. 水の表面張力の「異常」の正体を解明―界面で競合する水素結合秩序が引き起こす新しい物理機構―

水の表面張力の「異常」の正体を解明
―界面で競合する水素結合秩序が引き起こす新しい物理機構―

  • プレスリリース

2026年2月20日

東京大学

発表のポイント

  • 水の表面張力が低温で単調に増加せず、一度増加が鈍った後、過冷却状態で再び急激に増大する「異常な温度依存性」を示しますが、その微視的起源を解明しました。
  • 水分子が界面近傍で取り得る 2種類の局所構造(秩序の異なる水素結合状態) の競合が、表面張力を決める界面応力の異方性を制御していることを明らかにしました。
  • 本研究は、水の表面張力異常を構造と力学を直接結びつけて説明する初めての統一的枠組みを提示し、氷核形成、雲物理、低温環境科学、生命現象における界面水の理解に新たな指針を与えます。
水の正四面体構造(S状態)
水の正四面体構造(S状態)

発表概要

 東京大学先端科学技術研究センターの田中 肇 特任研究員/東京大学名誉教授、ユアン ジャシン特任研究員(研究当時;現 香港科技大学(広州)教授)、北京師範大学のスン ガン教授、チウ クン大学院生らの研究グループは、水の表面張力(注1)が低温で示す非単調な温度依存性すなわち一度増加が鈍った後に再び急激に増大する「再入的な挙動」(注2)の微視的起源を、分子構造と界面応力(注3)を直接結びつけることで解明しました。
 水の表面張力は、常温では約72mN/m と高く、温度を下げると一般的な液体と同様に増加します。しかし水の場合、約275K付近からその増加が次第に鈍り、さらに深い過冷却領域(注4)(約250K以下)では、再び急激に増加するという非単調(再入的)な挙動を示すことが、近年の高精度実験および分子動力学シミュレーションによって明らかになってきました(図1a参照)。この異常な振る舞いは長年知られていたにもかかわらず、その物理的起源は十分に理解されていませんでした。
 本研究では、この問題に対して、空気―水界面における水分子の局所構造と、表面張力の起源である界面応力の異方性を直接結びつけるというアプローチを採用しました。大規模な分子動力学シミュレーションを用いて、界面近傍の水分子配置、配向、局所的な応力分布を詳細に解析した結果、水分子が界面で取り得る二つの異なる構造状態の競合が、表面張力の温度依存性を支配していることを突き止めました。
 具体的には、界面近傍の水分子は、(i)界面の存在による対称性の破れによって O–H 結合や分子双極子(注5)が一方向に揃った歪んだ、乱れた非正四面体構造(ρ状態)と、(ii)正四面体型の水素結合ネットワークを保った構造的に対称性の高い状態(S状態)(上図参照)の二つに大別されます(図1b,c)。乱れたρ状態は界面応力の異方性を強め、表面張力を増大させる一方、S状態は分子配向が乱れている限り、応力の異方性を弱め、表面張力を緩和する役割を果たします。
 解析の結果、中間的な低温領域(約275–250K)では、ρ状態の表面での配向はすでに飽和しており、それ以上表面張力を増大させません(図1a)。一方、S状態は界面近傍に存在するものの、まだ配向秩序を持たないため、表面張力への寄与は小さいままです(図1a)。この二つの効果により、表面張力の増加が一時的に鈍ることが分かりました。
 さらに温度を下げて深い過冷却状態に入ると、S状態の水分子同士に双極子相関(注6)が生じ、S状態自体が配向秩序(注7)を獲得します。その結果、これまで表面張力を緩和していたS状態が、逆に界面応力の異方性を増幅し、表面張力が再び急激に増加します(図1a)。これが、水の表面張力が低温で示す再入的な増大の本質的な原因であることを明らかにしました。
 本研究は、水の表面張力異常を、界面における水素結合構造の競合とその力学的な帰結として統一的に理解する枠組みを初めて提示したものです。分子構造と界面力学を直接結びつける本成果は、過冷却水や氷核形成、雲物理、低温環境科学、さらには生命現象における界面水の理解に重要な基盤を与えると期待されます。

 本成果は、2026年2月20日付でNature Communicationsに掲載されました。

ー研究者からのひとことー
水の表面張力の異常は長年知られていましたが、その理由ははっきりしていませんでした。本研究では、水分子が界面で取り得る秩序の違いが、直接的に界面応力を制御していることを示しました。水は単なる「分子の集まり」ではなく、環境に応じて秩序化の度合いを変えることで力学的性質を変幻自在に操ることができる、非常に豊かな物質だと改めて実感しています。
(東京大学先端科学技術研究センター 特任研究員/東京大学名誉教授 田中肇)

発表内容

 水の表面張力は、約275K付近から増加が鈍り、さらに深い過冷却領域(約250K以下)で再び急激に増大することが、近年の高精度実験および分子動力学シミュレーションによって示されてきました。しかし、これまで提案されてきた説明は、いずれもこの振る舞いを部分的にしか説明できないという問題を抱えていました。
 水の表面張力の異常については、表面過剰エントロピー(注8)、高密度液体(HDL)の界面での増加、水素結合の強化など、さまざまな説明が提案されてきました。しかし、これらの議論はいずれも、表面張力の定義である「界面応力の異方性」が、どの分子構造によって、どの空間領域で生じているのかを直接説明していませんでした。また、表面張力の増加が最も鈍る中間温度域(約275–250K)と、再び急増する深い過冷却域を、同一の物理機構で説明することも困難でした。
 本研究では、空気―水界面における水分子を、その水素結合構造と配向秩序に基づいて二つの状態に分類し、それぞれが界面応力に与える寄与を直接評価しました(図1)。一つは、界面の存在による対称性破れによってO–H結合や分子双極子が揃った歪んだ、乱れた非正四面体構造(ρ状態)であり、強い応力異方性を生み、表面張力を増大させます。もう一つは、正四面体型の水素結合ネットワークを保った構造的に対称性の高い状態(S状態)であり、その配向が乱れている限り、界面応力の異方性を弱め、表面張力を緩和します。
 中間温度域では、ρ状態はすでに界面で配向飽和しており、表面張力への寄与は頭打ちになります(図1a)。一方、S状態は界面近傍に存在するものの、配向秩序を持たないため、応力異方性をほとんど増幅しません。このため、表面張力の増加が一時的に抑制されます(図1a)。ところが、さらに温度を下げると、S状態そのものが持つ双極子を介してS状態間に相関が生じ、S状態自体が配向秩序を獲得します。これにより、高温では表面張力を緩和していた S状態が、逆に応力異方性を強め、表面張力が再び急増します(図1a)。
 本研究の重要な発見は、この低温で配向秩序を獲得したS状態が、氷核形成の前駆構造と密接に関係している点です。解析の結果、界面近傍には、5員環や7員環を含むIce 0[1](注9)型の局所構造が選択的に形成されており、これらはρ状態ではなく、S状態の水分子によって優先的に構成されていることが分かりました。
 Ice 0は、正四面体型の水素結合を保ちながらも、結晶氷とは異なるトポロジーを持つ準安定構造であり、近年、氷核形成の重要な前駆体として注目されています[1]。本研究は、界面で配向秩序を獲得したS状態が、表面張力を増大させると同時に、Ice 0構造の形成、つまり氷の形成を促進することを示しており[2]、界面力学と氷核形成が共通の構造起源を持つことを明確にしました。
 また、水の異常物性は、しばしば液液臨界点(LLCP)(注10)仮説と関連づけて議論されてきましたが、本研究の結論はLLCP の存在を前提とするものではありません。本研究が示すのは、表面張力異常が、界面近傍における局所構造秩序と配向秩序の競合という力学的な機構によって生じるという点です。すなわち、臨界点に伴う長距離のゆらぎや熱力学的特異性(注11)を仮定しなくても、表面張力の再入的挙動は説明可能であることを示しています。一方で、本研究の二状態(S状態とρ状態)に基づく枠組みは、LLCPに基づく熱力学的描像とも矛盾せず、むしろ局所的な構造レベルでの物理的実体を与える補完的な視点を提供するものです。
 本成果は、水の表面張力異常を、単なる熱力学量の異常や界面濃縮の問題としてではなく、界面における分子秩序の競合とその力学的帰結として統一的に理解する新しい枠組みを提供します。構造と応力を直接結びつけた本アプローチは、過冷却水や氷核形成だけでなく、他のネットワーク形成液体や界面現象一般にも適用可能な概念的基盤となると期待されます。

図1:界面水における表面張力 γ の温度依存性と二状態構造
図1:界面水における表面張力γの温度依存性と二状態構造
a シミュレーションから得られた表面張力 $¥gamma(T)$(黒)を、実験値(紫)および先行シミュレーション(緑)と比較した。γはS状態(赤)とρ状態(青)の寄与に分解される。水の表面張力は単純液体とは異なり、温度低下に伴う増加が一度鈍化した後、深い過冷却領域で再入的に増大する。誤差棒は記号より小さい。挿入図は、水膜と界面に垂直なz軸を示す。b 正四面体型 S状態水の割合sの温度依存性。界面領域(z=14–22 Å)ではバルクよりsが低いが、250K付近で急増する。挿入図は典型的な S状態構造を示す。c T=300 Kにおける界面水(z=14–22 Å)の二次元分布 P(ζ,θavg)。ζとθavgは正四面体度を表す構造指標で、二状態性を反映した明瞭な二峰性が見られる。右上のピークがS状態、左下のピークがρ状態に対応する。

参考文献
[1] J Russo, F Romano, H Tanaka, New metastable form of ice and its role in the homogeneous crystallization of water, Nat. Mater. 13, 733 (2014).
[2] G Sun, H Tanaka, Surface-induced water crystallisation driven by precursors formed in negative pressure regions, Nat. Commun. 15, 6083 (2024).

発表者・研究者等情報

東京大学先端科学技術研究センター 極小デバイス理工学分野
 田中 肇 特任研究員/東京大学名誉教授
 ジャシン ユアン 特任研究員(研究当時:現 香港科技大学(広州)教授)

北京師範大学
 スン ガン 教授
 クン チウ 大学院生

論文情報

雑誌名:
Nature Communications
題 名:
Competing hydrogen-bond orders drive water's anomalous surface tension
著者名:
Jiaxing Yuan, Kun Qiu, Gang Sun, Hajime Tanaka* *責任著者
DOI:
10.1038/s41467-026-69356-6
URL:
https://www.nature.com/articles/s41467-026-69356-6別ウィンドウで開く

研究助成

本研究は、文部科学省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)の支援を受け実施されました。

用語解説

  • (注1)表面張力
    液体の表面で分子同士が引き合うことによって生じる力のことです。この力により、液体は表面積を小さく保とうとします。水滴が丸くなる、昆虫が水面に浮かぶといった現象は、表面張力によるものです。
  • (注2)再入的な挙動
    再入的な挙動とは、ある物理量が条件の変化に対して一方向に変化するのではなく、一度変化の傾向が弱まり逆転した後、再び元の傾向に戻る振る舞いを指します。本研究では、温度低下に伴う表面張力の増加が一時的に鈍った後、再び強まる現象を意味します。
  • (注3)界面応力
    界面応力とは、異なる相(例:空気と水)の境界で分子に働く力の不均衡によって生じる応力のことです。界面では分子の配置や配向が非対称になるため、力の向きに偏りが生じます。この応力の異方性が、表面張力などの界面の力学的性質を決定します。
  • (注4)過冷却領域
    過冷却領域とは、本来は結晶化する温度以下であっても、液体のまま存在している温度範囲のことです。水では氷点下でも凍らずに液体状態が保たれる場合があり、この状態を過冷却と呼びます。
  • (注5)分子双極子
    分子双極子とは、分子内で正と負の電荷が空間的に分離していることで生じる電気的な偏りのことです。水分子では酸素原子側が負、2つの水素原子側が正に帯電しており、分子全体として向きを持った電気双極子として振る舞います。
  • (注6)双極子相関
    双極子相関とは、分子がもつ双極子の向きが互いに無関係ではなく、近くの分子同士で一定の方向関係を保つ傾向のことです。
  • (注7)配向秩序
    配向秩序とは、分子や粒子の向きが無秩序に分布するのではなく、特定の方向にそろう傾向を示す状態のことです。界面や低温条件では、この配向秩序が発達し、物質の物性に大きな影響を与えます。
  • (注8)表面過剰エントロピー
    表面過剰エントロピーとは、分子の乱雑さや取り得る状態の数を表す量であるエントロピーが、液体表面では内部(バルク)と異なることによって生じる界面特有の成分のことです。表面では分子配置の自由度が制限されるため、この表面過剰エントロピーの温度変化が、表面張力の異常な振る舞いと関連づけて議論されてきました。
  • (注9)Ice 0
    Ice 0とは、液体の水から氷が生成される初期段階で現れる、結晶氷とは異なる準安定な局所構造のことです。正四面体型の水素結合を保ちながら、5員環や7員環を含む特徴的なネットワークを持ち、氷核形成の前駆構造として重要な役割を果たすと考えられています。
  • (注10)液液臨界点
    液液臨界点(LLCP)とは、同じ液体が高密度状態と低密度状態という二つの異なる液体相に分かれる境界が消失する臨界点のことです。水では過冷却領域にこの臨界点が存在するとする仮説があり、密度やエントロピーなどの異常な振る舞いとの関係が議論されています。
  • (注11)熱力学的特異性
    熱力学的特異性とは、比熱や圧縮率、エントロピーなどの熱力学量が、特定の条件下で急激に変化したり、極大・発散的な振る舞いを示したりする性質のことです。相転移や臨界点の近傍で現れることが多く、物質の状態変化を特徴づける重要な指標です。

問合せ先

東京大学名誉教授
東京大学先端科学技術研究センター
特任研究員 田中 肇(たなか はじめ)

ページの先頭へ戻る