1. ホーム
  2. ニュース
  3. 先端研ニュース
  4. 博物館・美術館のためのネットワークサイエンス

博物館・美術館のためのネットワークサイエンス

  • 研究成果

2024年4月3日

発表のポイント

  • ルーヴル美術館で最も混雑するモナリザの部屋は、ネットワークサイエンス(注1)で確立された様々な中心性指標(注2)で測定するとネットワークの中心というよりはむしろ周縁に立地していることが発見された(図1)。この結果は「人気作品があるから来館者はその部屋を訪れるのか、もしくは空間構造によって多くの来館者がその部屋を訪れるように誘導されているのか?」という長年の問いに一つの結論を出した。ネットワークの構造上必ずしも行きやすい場所ではないにもかかわらず部屋が大混雑しているのは、「モナリザ」という作品の誘因力の大きさによるものだと考えられる。
  • 次数中心性(空間構造のヒエラルキーを測定する指標)が最も高い空間は「サモトラケのニケ」へと向かう大階段(図2)であることが発見された。また、固有ベクトル中心性が最も高いのは「入口(ガラスのピラミッド)―Denon翼―Daruギャラリー―ミロのビーナス」へと至る空間シーケンスであることが特定された(図3)。これらの結果は先行研究(注3)において示されたルーヴル美術館の最頻出パス(来館者が最もよく利用する移動軌跡)と一致しており、多くの来館者がそのような移動軌跡を選択するのは空間構造が少なからず影響を与えていると考えられる。
  • 大規模美術館の代表格であるルーヴル美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館を構成する各々の部屋をノード、繋がり方をエッジとしてネットワークを生成し(図4)、空間特性に関する統計比較を行った。ルーヴル美術館とメトロポリタン美術館の部屋数はほぼ同じであるのに対して、ボストン美術館の部屋数は約半数という違いがあり、エッジ数(廊下数)についても同様の結果が出た。この結果に基づいてネットワーク特性を比較したところ、一つの部屋に連結しているエッジ数は3つの美術館でさほど差はないにもかかわらず(<k>=2.5)、ローカルで近隣部屋同士が繋がっている指標(<C>)ではメトロポリタン美術館がルーヴル美術館の約2倍、ボストン美術館はルーヴル美術館の半分程度に留まっていることが判明した。これが、メトロポリタン美術館がネットワークとして見た時には小さくまとまっているのに対して、ルーヴル美術館は部屋同士の連結がそれほど密ではなく、むしろ広く繋がっていることの要因であると考えられる。
  • 図1
  • 図1:ルーヴル美術館のトポロジカルネットワーク
  • 図2
  • 図2:サモトラケのニケへと向かう大階段
  • 図3
  • 図3:ルーヴル美術館の空間構造と主要作品の位置関係。矢印は来館者が最もよく利用する移動軌跡
  • 図4
  • 図4:ルーヴル美術館の空間構造をネットワークに生成するプロセス

発表概要

モナリザの微笑みは今も世界中の人々を魅了し続けている。とても小さなこの作品を鑑賞する為に、モナリザの部屋には常に5重6重の人垣が作られ、この部屋の混雑は世界的に類を見ないものとなっている。このような混雑はモナリザという作品の誘因力に依るものなのか、はたまたルーヴル美術館の空間構造上、来館者はその空間に足が向くように仕向けられているのだろうか?
東京大学先端科学技術研究センターの吉村有司特任准教授らのグループは、ルーヴル美術館のアナ・クレブス社会経済研究部門主任と、マサチューセッツ工科大学のカルロ・ラッティ教授と共同で、この問いにネットワーク科学の観点から一つの答えを導き出した。博物館・美術館を構成する各部屋をノード、それらの部屋が他の部屋とどのように繋がっているのかという「繋がり方」に着目することによって博物館・美術館を一つのネットワークとして記述した。そのうえでネットワークサイエンス分野で確立された分析手法を博物館・美術館に応用することによって、空間構成という側面からの定量分析を可能にした。この分析結果を人流解析などと組み合わせることによって、「人が動く」ということと空間構成の関係性の解明に一つの枠組みを与えることに成功した。
このように来館者の鑑賞パターンや作品周りの密度、移動軌跡などを空間構造との関係性から定量的に分析する枠組みを提示したことが本論文の貢献である。これまでは各博物館・美術館といった個別単位でしか分析されてこなかった分析対象を共通の観点や指標を用いて比較可能となったことは大きい。科学的な観点からの知見が蓄積されることにより、今後はデータに基づいた効率的なミュージアム・マネジメント政策が実装され、来館者の博物館体験の質を向上させると確信している。

本研究成果は、国際雑誌「PLOSONE」に掲載されました。


ー研究者からのひとことー

現代社会におけるアートの役割は益々重要になってきています。忙しない日常生活のなかで芸術作品に向き合うひとときが我々の心を満たしてくれる、そんな居場所を持つことがこれまで以上に大切になってくるのではないでしょうか。「美しさ」や「気持ちのよさ」といった「感性」を大切にした建築や都市計画・まちづくりに、一見それらとは対極と思われる「サイエンス」や「データ」をもちいる楽しさを感じてもらえれば嬉しいです。

発表内容

【研究の背景】
博物館学や来館者研究といった分野(注4)では館内における来館者の挙動が研究されてきた。それらは主に直接観察やアンケート、インタビューといった手法によって関連データが収集されてきたが、それらの多くは小規模サンプルに留まりがちである。また、平均滞在時間が4時間を超える大規模美術館においては来館者の入館から退館までを目視によるトラッキング(直接観察)によって捉えることは難しい。さらに事後的に行われるアンケートやインタビューでは来館者の記憶に依るところが大きいため、立ち寄った作品や鑑賞時間、鑑賞経路などを正確なデータとして収集することは困難である。
このような問題意識から、吉村有司特任准教授は独自に開発したBluetoothセンサーを用いて大規模美術館における来館者データの収集法を確立し、それをルーヴル美術館で実装した(注5. Yoshimura et al., 2012, 2014)。それらの先行研究では、人気作品周りの来館者の密度と鑑賞時間に相関関係が見られることや(注6. Yoshimura et al.2017)、何万通りも考えられる部屋の組み合わせにも関わらず、来館者の移動軌跡にはある一定のパターンが存在することなどが発見された(注7. Yoshimura et al.2019)。これらの先行研究においてもネットワーク分析の枠組みは部分的に用いられてきてはいたが、断片的なものに留まっていたり、全ての指標が使われている訳ではないなど、現在までにネットワークサイエンスで確立された手法が網羅されている訳ではなかった。
これらの背景を踏まえ、東京大学先端科学技術研究センターの吉村有司特任准教授らのグループは、博物館・美術館にネットワークサイエンスで培われてきた知見を応用する基礎研究を行った。具体的には大規模美術館の代表格であるルーヴル美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館をネットワークとして表象し、それらの統計分析の比較を通して各々の館の特徴を定量的に明らかにした。これらの比較分析は言葉による記述的な分析だけでは見えてこないものであり、博物館学や来館者研究分野に定量化とその分析手法を持ち込んだことによって今後は世界中の博物館・美術館においても一定の指標となり得る可能性を示した。

【研究内容】 本研究では大規模美術館の代表格として3つの美術館をネットワークとして記述した。

1. ルーヴル美術館
2. メトロポリタン美術館
3. ボストン美術館

これらの美術館のネットワーク特性を明らかにする為に下記の5つの指標を設定し、それらを比較することによって各々の美術館の特徴を抽出した。

1. 媒介中心性
2. 次数中心性
3. 近接中心性
4. 固有ベクトル中心性
5. 情報中心性
6. クラスター係数

ネットワークサイエンスで使用されるこれらの指標を博物館・美術館に応用した際に空間的に解釈できるのは下記の点である(図5):

  • 図5:博物館・美術館におけるネットワークの作成法とネットワーク分析指標のコンセプトと各種指標の効用をまとめた図
媒介中心性
媒介中心性は全ての起点・終点(Origin, Destination)ペアを考慮した際に最も頻繁に通過する部屋のスコア化である。この特性を示す部屋は他の目的地を目指す来館者が立ち寄りやすく、その際にそこに置いてある作品は目にとまりやすい効果が期待できる。逆に誘引力が強い人気作品を媒介中心性が低い部屋に配置することによって、館内の混雑をある程度緩和する効果も期待される。

次数中心性
次数中心性は各部屋に繋がっている廊下の数によって空間構造のヒエラルキーを測る指標である。来館者がある部屋に入った際に、その部屋から次にどの部屋に行くかの選択肢の多さの指標と捉えることもできる。

近接中心性
近接中心性は全ての部屋からより少ないステップで訪問できる部屋を測る指標である。この指標は、館全体(グローバルネットワーク)に、より深く統合された空間と、そこからはより深く分離された空間の度合いを計測する。より分離された空間に設置された展示物は来館者の目にとまりにくいと思われるため、より専門性の高い展示物を配置したり、もしくは逆に吸引力が高い人気作品を分離された空間に配置することによって館全体における人流をより均等に分配し、混雑度を緩和することが期待される。

固有ベクトル中心性
固有ベクトル中心性はリンク先の空間の重要度を考慮しながら空間ヒエラルキーを測定する指標である。よりヒエラルキーが高い部屋からリンクが貼られている部屋は同じ一つのリンクでも重みに差が出ると考えられる。こうして特定された空間シーケンスは、展覧会や一連の展示物によるメッセージを伝えたい場合などに効果を発揮すると期待される。例えば展覧会のクライマックスとなる展示物を空間ヒエラルキーの一番重要な空間に設置することによってその効果をより強めることが期待される。

情報中心性
情報中心性は、あるノード(部屋)が取り除かれた場合に、館全体(グローバルネットワーク)にどれほどの影響があるのかを測る指標である。例えばある部屋を修復や展示の入れ替えの為に一時的に閉鎖しなければならない場合、その一時閉鎖が館全体のサーキュレーションにどれほど影響力があるのかを予測する為に使用される。展覧会の年間スケジュールを決める際に、あらかじめ影響の少ない部屋を選ぶことによって、防災や緊急時の避難経路の確保などの影響を最小限にとどめることが期待される。

クラスター係数
クラスター係数は、ある特定エリアにおける部屋同士がどの程度互いに繋がりあっているかを測定する指標である。この指標は館全体(グローバルネットワーク)のサーキュレーションからは離れてローカルで完結したい展示や、来館者を局所的な空間に誘導することによって混雑を改善したい場合に役立つと思われる。また、館全体で展開したい展示ストーリーとは切り離して、副次的に展開したい展示ストーリーがある場合などにクラスター係数が高い空間を利用する方法が考えられる。

以上がネットワークサイエンスで確立された中心性指標の博物館・美術館における空間的活用法であるが、これらの指標をルーヴル美術館に実装して判明したのが下記の点である(図6):
  • 図6:ルーヴル美術館の空間構造のネットワークによる記述。図中の番号は人気主要作品の位置。丸の大きさと色の濃さは各種中心性指標の高さを表している。

モナリザの部屋は空間構造ネットワークという観点から見た時には中心ではなくむしろ周辺に立地していることが分かった。ここから考察するに、現在のモナリザ部屋の混み具合は(入口からその空間を必ず通らなければならないというような)空間構造に由来するのではなく、その空間にモナリザという作品があることによって混雑が誘因されていると考えられる。例えばもしもモナリザがネットワークの中心近くの部屋に置かれていたとしたら、現状よりもはるかに混雑が増加することが予想される。
いっぽうで、ガラスのピラミッドは空間構造ネットワークから見て中心に位置していることが明らかになった。仮にガラスのピラミッドが美術館のメインエントランスという機能を持っていなかったとしても、空間構造上、来館者は自然とこの空間に集まってくることが推察される。ガラスのピラミッドにおける現状の混雑状況はメインエントランスという機能と共に、空間構造上において中心に位置しているという2重の理由によって生成されていると推測される。
空間構造のヒエラルキーを測る次数中心性が最も高い空間はサモトラケのニケへと向かう大階段の空間であった。この空間はDenon翼と、ミロのビーナスへと向かうSully翼を繋ぐ空間であり、大階段という特性上、上下方向を繋ぐ役割を果たすと共に、イタリアン・ギャラリーやモナリザ部屋への導入空間としても機能している。また、ガラスのピラミッドからDenon翼へ入りDaruギャラリーを通過してミロのビーナスへと至る空間シーケンスが固有ベクトル中心性が最も高いパス(移動軌跡)として抽出された。この結果は、先行研究において明らかにされたルーヴル美術館内で最も頻繁に使用される移動軌跡と一致しており、この最頻出パスのパターンは空間構成の特徴が起因しているものと思われる。

【社会的意義・今後の展望】
個人がウェルビーイングを探求していく今後の我々の都市においては、インフォーマルな教育機関としての博物館や美術館の役割は益々重要になってくると思われる。それに伴い、博物館学や来館者研究といった分野の重要性も増し、緻密なデータ収集法の確立や分析手法の開発、それら分析結果の実装までもが求められる社会になってくると予測される。そのような社会に備える為に、我々はこの分野にネットワークサイエンスを持ち込んだ。これまでは個別の博物館や美術館の記述分析に留まっていたこの分野に全く別の角度から分析を展開する可能性を示した。単体の博物館・美術館の分析からだけでは見えてこない側面が、他の博物館・美術館との比較から浮かび上がってくる類似性や差異性を活かしながら、博物館体験の質を向上させるような博物館・美術館マネジメントの実装が期待される。ひとりでも多くの市民が博物館や美術館に興味を抱き、実際に足を運んで空間を体験することによって、都市生活における生活の質が向上するものと確信している。

論文情報

雑誌:
PLOSONE(3月29日)
題名:
Network Sciences for Museums
著者:
Yuji YOSHIMURA, Anne KREBS, Carlo RATTI
DOI:
10.1371/journal.pone.0300957別ウィンドウで開く

用語解説

  • (注1)ネットワークサイエンス
    ネットワークサイエンスとは、自然界に存在するものや人工物、社会における出来事などをノードとエッジで構成されるネットワークとして表現して、その特性を明らかにする分野。詳しくは『ネットワーク科学:ひと・もの・ことの関係性をデータから解き明かす新しいアプローチ』(アルバート・ラズロ・バラバシ、共立出版、2019)

  • (注2)中心性指標
    ネットワークの特性を分析する為に様々な指標が提案されている。図5を参照のこと。

  • (注3)先行研究
    吉村特任准教授は2010年からルーヴル美術館と共同研究を始め、独自に開発したBluetoothセンサーをルーヴル美術館内に設置して来館者の館内行動に関するビッグデータの収集を開始した。一連の研究において、来館者の最頻出パスの特定(Yoshimura et al. 2012, 2014)、人気主要作品周りにおける密度と鑑賞時間の関係性(Yoshimura et al. 2017)、ランダムネットワークと最頻出パスの比較(Yoshimura et al. 2019)などの研究成果を出している。

  • (注4)博物館学や来館者研究といった分野
    博物館学についてはHein, G, 1998 Learning in the Museum (Routledge, London),来館者研究に関してはHooper-Greenhill, E. (2006). Studying visitors. In S. MacDonald (Ed.), A Companion to Museum Studies (pp. 362–376). London, UK: Blackwell Publishingを参照。

  • (注5)Yoshimura et al. 2012, 2014
    Yoshimura Y, Girardin F, Carrascal J P, Ratti C, Blat J, 2012, “New Tools for Studing Visitor Behaviours in Museums: A Case Study at the Louvre” in Information and Communication Technologis in Tourism 2012. Proceedings of the International conference in Helsingborg (ENTER 2012) Eds Fucks M, Ricci F, Cantoni L (Springer Wien New York, Mörlenback) 391-402, Yoshimura, Y., Sobolevsky, S., Ratti, C., Girardin, F., Carrascal, J. P., & Blat, J. (2014). An analysis of visitors’ behaviour in The Louvre Museum: a study using Bluetooth data. Environment and Planning B: Planning and Design, 41(6), 1113–1131

  • (注6)Yoshimura et al. 2017
    Yoshimura, Y., Krebs, A., & Ratti, C. (2017). Noninvasive Bluetooth Monitoring of Visitors’ Length of Stay at the Louvre. IEEE Pervasive Computing, 16(2), 26–34.

  • (注7)Yoshimura et al.2019
    Yoshimura, Y., Sinatra, R., Krebs, A., & Ratti, C. (2019). Analysis of visitors’ mobility patterns through random walk in the Louvre Museum. Journal of Ambient Intelligence and Humanized Computing. https://doi.org/10.1007/s12652-019-01428-6

問合せ先

東京大学 先端科学技術研究センター 減災まちづくり分野
 特任准教授 吉村 有司(よしむら ゆうじ)

関連タグ

ページの先頭へ戻る