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航空決戰必勝の鍵 白鷗會 〔復刻版〕
昭和十八年八月二十日

一、挨拶

私は航空研究所白鷗會員○○であります。私達は東京帝國大學航空研究所に於て航空に関する基礎的學術の研究及び実験に從事致して居る者でありますが、大東亜戰爭が“航空決戰”と呼ばれます様な誠に苛烈なる空の激闘が繰り返へされて居ります今日、一般の方方及び特に航空方面に期待されて居る青少年諸君が航空上の問題に関して深い関心と極めて熱烈な決意を抱いて居らるゝ様を察知致しまして、私達が日頃勉強し、經験し、又は見聞した事柄をお話して歩いたら甚だ微力乍らもそうした方々の道しるべとなり、又は決意の導火線ともなり得はしないだろうか?と云ふ様なことを考へて居りました折柄、偶々大日本飛行協會で其の様な計画を御立てになり講師を委囑し度いとのお話を伺ひまして 決然!! 起づて‥‥と申しますと甚だ悲壯な云ひ方ですが、実のところ毎日口一つきかず表情も見せない器械と取り組んで仕事をして居ります私達が、諸君の様な元気のよい人達の前に出て話をすると云ふ事は相当な決心なくしては御受け出来なかったのです。併しこれもこの超非常時局下私達が爲し得る職域奉公の一つであると考へまして弱い心臓に急拵へのトーチカをかぶせまして御引受けをし、酷暑の期間僅かばかり許されました休養の日時を利用致しましてはるばる出て参りました次第、お暑い處を上手でもないお話で誠に御気の毒乍らしばらくの間御靜聽をいただきたいと思ひます。

航空機全般的の問題につきましては○○先生が一通り系統的にお話されましたので、私は“航空決戰必勝の鍵”と云ふ題目のもとに現下航空界必須の事柄を数項に渉り御話申し上げて諸君の御奮起を御願ひ致し度いと思います。

二、航空決戰の意義

現在南太平洋上に於ては誠に凄烈なる激戰が日頃續けられて居ります事は諸君既に毎日の新聞で充分御承知の通りであります。而して現在又“航空決戰”と云ふ事が強く叫ばれて居ります事も諸君既に御承知の筈と存じますが、この“航空決戰”と申しますのは南太平洋に於けるあの凄烈な航空激闘だけを捉へて申すのではなくて、大東亜戰爭を全般的に見て其の現段階に於ける戰局を総括して之を“航空決戰”と申すのだと私は考へます。即ち昨年八月のソロモン海戰以降、特に今年二月の我がガダルカナル島転進作戰以後〔注1〕米國の對日作戰の様想が大分変わって参りました。即ち
(イ)對日航空基地を獲得してその補給路を確保する事、
(口)日本々土を空襲して生産の本據を伏滅する事、
この二つに全力を打ち込んで参つた様です。しかも此の作戰に從來の様な空母、戰艦、巡洋艦等多数を配した大艦隊を出撃させる事は日本航空部隊のよき獲物となり、徒らに自國の損害を大きくし其の補給を困難ならしむるばかりだから、この様な巨艦隊等はしばらく日本航空部隊活躍圏外に待機させておいて補給の容易な航空機を主として作戰する。そして次々に基地を推進し又他方日本々土を空襲して軍需生産の本據を攪乱し、以て日本航空部隊を制服して先づ大洋上の制空權を確保し、然る後徐ろに後方大艦隊を出動せしめて一擧に日本艦隊を撃滅して日本を屈服せしめる。この様な作戰になつて来た様に思はれます。

それでは何故にこの様な作戰変更となつたか? これを少しく考へて見ませう。大東亜戰爭勃発以来戰爭に對する航空機の威力並びに其の重要性は今更事新しく申し上げる迄もなく、我が日本航空部隊の緒戰以来次々の大戰果が如実に之を物語つて居りますが、開戰前迄は航空機がこれ程の威力があり重要性を持つものとは敵米英は考へて居なかったのです。即ち航空機か、戰艦か? 之は世界の軍事評論家達の論議の種であつたのです。現に第二次歐洲大戰第二年目昭和十五年十一月の英伊海戰の時、英國空母から飛び立つた雷撃機が伊國の戰艦を撃沈した事実に對しても僥幸的の偉勲と片付けてしまつて、やはり戰艦でなくてはいかんと云ふ結論をして居た様子です。

さればこそ開戰直前迄米英共艨艟数隻を根幹とする太平洋艦隊と浮沈艦と自負する“プリンスオブウエールス”と“レパルス”の二巨艦を配する東洋艦隊とが存する以上、開戰以来六ヶ月にて日本に屈服せしめることが出来ると豪語して飽く迄傲慢な態度を續けて参つたのです。しかも我が海軍に所謂、“月々火水木金々”の猛訓練に鍛へられた精鋭艦隊と“見敵必滅”の新鋭航空部隊が有りし事を気付かなかつたとは!! 誠に笑止の到りでした。

扨て開戰となつたら一朝にして米國太平洋艦隊は根據地点、眞珠湾を一歩も出でずして伏滅され、二日の後には英國東洋艦隊の主力艦二隻もマレー沖一瞬のシブキと共に撃沈されてしまつたのです。〔注2〕而して此の両海戰に於て眞珠湾に於て戰艦四隻を、マレー沖に於ては一分間六万発と云ふ彈幕を被つて“プリンスオブウエールス”を更に“レパルス”を我が航空部隊が撃沈してしまつて、世界の軍事評論家達をアツ!! と云はしてしまつたのです。茲で始めて戰艦か航空機か?の問題が決定的に証明されたのです。

茲で一番びつくりしたのは“ルーズベルト”です。國務次官“ハル”から眞珠湾の報告をきいた時、彼は顔面蒼白となり報告書を持つ手は“ワナワナ”と震へて居たと申します。國内輿論はゴウゴウと湧き海軍に對する非難の聲がやかましくなつて参りまして、茲に米國は第一回の作戰転換を餘儀なくされたのです。

即ち昭和十七年一月七日の教書(施政演説)で後刻申し上げる様に、航空機月産六万台生産及び建造中の戰艦、巡洋艦其の他を航空母艦に改造すると云ふ計画を発表し、今迄の戰艦中心主義の作戰を航空母艦中心主義の作戰に変更したわけなのです。

ところが其の結果はどうか?
バリ島沖海戰       (17’2’2)
ジャワ沖海戰       (17'2'4)
スラバヤ、バタビヤ沖海戰 (17’2’27~31)
ミッドウェー強襲     (17'6'5)
珊瑚海々戰        (17’5’7~8)
ソロモン海戰、第一次   (17'8'8)
ソロモン海戰、第二次   (17'8'24)
ソロモン海戰、第三次以降 (17’8’25~10'25)
南太平洋海戰       (17'10'26)
ルンガ沖夜戰       (17'11'30)
印度洋作戰        (17'4'5~13)

等を經て米英蘭の残存戰艦及び巡洋艦等の大部分及び彼等が誇つたサラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネット、ワスプ、バーミス等所有航空母艦の殆んどが全部が我が海軍に依り撃沈され、更に不落を誇つた香港、シンガポール、バタン、コレヒドールを始めとし、彼等東亜の根據地の殆んど全部を失ひ、開戰僅かに一年にして彼等は日本に對して手も足も出せなくなつてしまつたのです。〔注3〕米國の輿論は愈々沸き立ちました。彼等はもともと明分のない戰爭をしてゐるのですから戰爭が優勢ならば兎に角、劣勢になつて参りますと仲々承知致しません。ルーズベルト大統領の土台は大地震に見舞はれました。彼は二度びつくりしたのです。それにもう一つ濠洲、之は米國が日本反撃の唯一の基地と頼んでゐたところでありますが、これが“助けて呉れい!!”と叫び始めました。〔注4〕即刻来演して呉れなければ日本にやられてしまふと云ふのです。之は何とかしなければいかん。併し日本航空部隊が大洋狭しと縱横に活躍して居てはどうにも打つ手はない:即ちルーズベルトがこの八方ふさがりの中でもだへにもだへて死物狂ひで考へ出したのが即ち今回の作戰転換なのです。即ち彼はこの作戰で破れたらもう駄目なんです。從つて我が方としてはこの決戰を勝ち拔けば大東亜戰必勝は確固不動のものとなるのです。茲で始めて大東亜戰爭の現段階を航空決戰と称する所以が御わかりと思ひます。そして同時に彼等がいかにたたかれても次から次に反撃してくる従來に見ない旺盛なる戰意の程も御諒解がつくと思ひます。
即ち去る五月、アッツ島来襲に於ては僅か二千の我が守備隊に對し一万数千と云ふ大兵力と軍艦数隻、更に重砲、戰車迄持つてきて居るとの事です。又南太平洋戰線に於ても航空機の数は少く共四、五千台、しかもどんどん補給されつゝあるとの事です。膨大なる生産力と富力とに物を言はせて一大消耗戰術で我が日本を圧倒しやうと云ふ今回の作戰は決して侮るわけには参りません。アッツ島来襲が他方よりする我が本土空襲の基地獲得と障害排除であり、南太平洋に於ける反撃が孤児濠洲の掩護と我が南方地域への基地獲得であり、去る三月頃のビルマ反攻が支那非占領地域を基地とする日本々土空襲の補給路獲得にある事は一目瞭然であります。而して彼等の我が本土空襲路として現在考へられて居りますのは、 (イ)アリューシャンよりする北方進攻路
(口)ミッドウェーよりする東方進攻路
(ハ)建甌、衝陽、雰陵、桂林等支那非占領地域よりする進攻路
(ニ)昨年四月十八日の方法に依る空母進攻路〔注5〕
の四つでありますが、(イ)(口)の進攻路(第一図参照)は共に東京より四千二、三百粁で、後に説明致しますがボーイングやコンソリデーテット級のものでは先づ困難とは思はれますが、航績距離一方余粁と云ふ新式重爆撃機(ダグラスB-19)の試験飛行に成功したと云ふたのが昨年十二月頃と思ひますから、これが生産化されて居るとすると数噸の爆彈を搭載して悠々と来襲できるわけで決して油断は出来ません。(ハ)の支那大陸よりする進攻路は距離にして二千数百粁から三千粁内外で彼が最も望みを嘱してゐるもので、既にボーイング、コンソリデーテット及び護衛用としての戰闘機(カーチスP-40)も相当数空輸されて居る模様にて、唯燃料等の補給が不十分なのと我が在支空軍の連日の活躍により未だ来襲致しませんが、これ又我々としては充分の警戒を要します。最後の空母に依るものは昨年四月十八日既に試験ずみであり、我が潜水艦が嚴として警戒し居る以上先づ安心とは思ひますが果しなき大洋と大空でありますから、何時如何なる間隙をぬつて来襲せぬとも限りませんので決して油断はなりません。

之を要するに今回の航空決戰は日本と致しましては絶対に勝たねばなりません。即ち前線への補給を充分ならしめると共に本土空襲に備へ、如何に執拗に敵が来襲しやうとも敢然之を撃碎して彼の今次航空決戰への意図を撃ちひしひで大東亜戰必勝を確固不動のものとしなければなりません。

<1996年1月発行 先端研探検団 第二回報告書32頁 掲載>

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