よみがえった海軍第三義勇号

工藤 隆司(先端学際工学専攻 堀・中須賀研究室)

12月18日の夕刻、立花客員教授室に探検団員が集り、仕上がったばかりのフィルムを見ることにした。映写機など触ったこともない団員である。もどかしい手付きでフィルムを映写機に装填し、時には入れ間違いをしながらも、なんとか試写をすることができた。壁面に写しだされた映像は、本来下の3分の1程度が上に写されている。これを直すのにまた大騒ぎである。映写機の貸出し先に連絡を入れたり、試行錯誤の末、やっと本来の映像が得られた。

フィルムの内容は、昭和6年(1931年)11月に実施された、海軍の飛行艇の落下試験の様子である。探検団としては、この実験の目的、結果などを探るべく活動を開始した。その活動の一環として、12月22日にフィルムの映写会を開催することになった。この場に関係者に集ってもらい、フィルムの内容を探りたいと思ったからである。飛行艇といえば新明和工業が有名な会社である。そこにこの件を知っている人はいないか調査したが、当時の様子を知っている人にはめぐり会えていない。

12月22日(金)午後5時から13号館3階講堂にてフィルムの映写会を開催した。会場には、先端研広松研究室のメンバーを中心として、30名程度の参加者があった。テレビカメラも来ている。立花先生から、この映写機とフィルムの発見された経緯、携帯型映写機のすぐれた特徴、16mmフィルムへの焼き直しと本日の映写会に至った経緯の説明のあと、10分強のフィルムの上映となった。

タイトルに、「第三義勇号飛行艇 落下試験 昭和六年十一月二日四日五日 広工廠航空機部」とある。広工廠(ひろこうしょう、通称広廠)とは、呉にあった海軍の工場である。ここで行なわれた飛行艇の落下試験フィルムである。映像の中の飛行艇にはプロペラが付いていない。しかし、新造艇という風でもない。どちらかというとスクラップ寸前という風体である。試験の仕様のテロップにつづき、クレーンからつるされた飛行艇が水上に落下する様子が写しだされている。色々な高さから、のべ15回にわたる落下試験である。通常の映像につづき、高速度撮影によリスローモーションで水上に落下する様子も写しだされていた。以下が、実験の仕様である。

日付 高さ(mm) 時刻
11月2日 1 250 PM 2:30
4日 1 200 AM 10:35
  2 500 AM 11:15
  3 800 AM 11:55
  4 1,100 PM 1:35
  5 1,500 PM 2:20
  6 2,000 PM 3:00
  7 3,000 PM 3:30
5日 1 1,100 AM 11:15
  2 1,100 AM 11:25
  3 1,100 AM 11:30
  4 2,000 AM 11:35
  5 3,000 AM 11:40
  6 500 AM 11:45
  1 4,000 PM 1:25

2日(月)は模擬落下試験のようだ。3日(火)は翌日以降の試験の準備なのだろうか。4日(水)は低い高さから高い高さまでの試験を時間間隔をあけて行われている。各高さからの詳細データの採取なのだろう。5日(木)午前には、ある程度の高さから、時間間隔では5分程度の短い間隔の試験が実施されている。今の言葉でいう、「タッチアンドゴー」の試験なのだろうか。飛行艇を痛めつけているようにも見える。最後の試験は、4mの高度からの落下試験である。飛行艇の落下高度としては、限界に近いものなのだろう。クレーンから吊されたドラム缶に乗って上から観察する人、小型の手こぎ舟に立ち乗りで観察する人々なども写っている。落下のあとは舟もグラグラ揺れている。再生したフィルムの割にはクリアーな映像だ。

フィルムの上映に続いて、立花先生により日本海軍軍用機集[1]の中から実際に作られた飛行艇との比較がなされた。これによると、この頃広廠で制作された飛行艇が2艇ある。昭和5年制作の「八九式飛行艇」と昭和6年制作の「九〇式一号飛行艇」である。前者は昭和3年末、海軍が金属製飛行艇の研究用にイギリスのスーパーマリン社から購入し”サザンプトン”を手本に、広廠に設計を命じて開発した複葉飛行艇である。後者は広廠が昭和5年から制作に着手した純日本人の設計による単葉主翼の飛行艇である。立花先生から今回の単葉主翼の第三義勇号はその中間の実験艇ではないかとの可能性が示された。また、実験の目的には機体の耐久性試験と高速度撮影により水の振る舞いの観察があったのではないか。この後東大の航空研究所では高速度撮影の技術を発達させ、秒1万コマまで実現し、飛行機のエンジンのシリンダー内の燃焼過程などを捕らえることが可能になっていったという。会場には、工作工場の櫻井技官と中川技官も来場され、超高速度撮影に関する貴重な資料をお持ち下さっていた。なお、映写機の銘盤には次のように記されていた。

HE DeVRY ”SUPER” PORTABLE MOTION PICTURE PROJECTOR TYPE S.E  No.15711 110 VOLTS 10 AMP D.C OR A.C FOR USE WITH SLOW-BURNING FILM ONLY THE DeVRY COOPERATION, CHICAGO, ILL.

映写会の終了後、来場していた日本航空協会の酒井さんより、協会には航空機に関する資料と関係者の名簿があり、協力したいとの申し出があった。そして12月25日以降、立花先生に続々と驚くべき情報が寄せられた。

参考文献
 [1]野原茂編著 世界の軍用機史5 日本海軍軍用機集 グリーンアロー出版社 1994.

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<1996年1月発行 先端研探検団 第二回報告書16頁 掲載>

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