006:牧原 出 教授

牧原 出教授

牧原 出教授

政治行政システム 分野

公開日:2019年11月 25日

先端研を「全作動」させるために──
時計台から「見渡す」新しい政治学

気鋭の行政学者・政治学者である牧原出教授の名刺には、たしかに「東京大学先端科学技術研究センター 教授」との肩書きが書かれている。
先端研が文理融合・異分野融合の研究活動を行っている組織であることを、ご存じの方も多いだろう。だがそれにしても、なぜ牧原教授は、理工系の研究者が多く集う先端研で、政治学・行政学の研究に取り組んでいるのだろうか――。
いったい、一般の大学の法学部で行われる政治学・行政学の研究と、牧原教授が先端研で行っている研究活動とは何が違うのだろうか。
「まずは、私の研究室のある13号館の時計台にいっしょに昇りましょう。そうすれば、私がこの先端研で何をしているのかを、そして私が先端研にいる意味を、わかってもらいやすくなると思いますから」と、牧原教授は誘ってくれた。

時計の「作動」を内側から見る

駒場IIキャンパスの正門から入って真正面にある先端研13号館は、旧東京帝国大学航空研究所の本館として1929年に建築された。2000年には国の登録有形文化財に指定されている。地上3階地下1階建てで、中央には左右非対称の特徴的な時計台がそびえ立つ。
牧原教授の居室はこの13号館の3階、時計台に上がる階段のまさに正面にある。

牧原教授といっしょに埃っぽい急階段をいくつも昇っていくと、やがて時計台の時計盤の「裏側」の部屋に着いた。小型の制御装置によって時計は駆動しており、部屋はがらんとしている。
「ここが私の好きな場所です。時計がどのように動いているのかは、時計の内側・裏側から見ないとわかりませんよね。内部から時計の動きを分析し、動きを予測する──まさに私が主張する『作動学』を象徴するのが、この場所なんです」

13号館時計台の時計盤の「裏側」
13号館時計台の時計盤の「裏側」

その部屋からほぼ垂直の階段をさらに昇ると、ついに屋上に出た。歴史的な古い建物と現代的な新しい建物が同居する駒場IIキャンパスの全体が見渡せる。新宿のビル街もすぐそこに見える。
「屋上から、先端研の先生方がいるそれぞれの建物が見えますよね。私は、先端研は東大の出城、真田丸みたいなものだと思っています。そして、『真田太平記』の真田十勇士のように、先端研の先生たちはそれぞれの出城で、それぞれの持ち味で戦っている。とすると、文系の私は真田幸村のように、それらを連携する役割、つなぐ役割を果たすことができるのではないか。出城を結びつけてみると思いも寄らぬそれぞれの持ち味も見えてくるのではないか。結果として先端研の力もより増すのではないかと思っています」と牧原教授は語った。

「森羅万象」と関わる行政

行政とは、法律で定められた内容を実行する機能や組織であり、外交や防衛、経済・産業、雇用、福祉、保健衛生、教育・文化、情報・通信、環境保全など、あらゆる分野が行政の対象となる。牧原教授も「行政は森羅万象と関わるのです」と表現する。

ところが、従来の行政学は研究対象が極めて限定されていたと、牧原教授は指摘する。そもそも外交や防衛は行政学の対象外とされ、「内政」のうちの特定の分野、すなわち官僚制や公務員制度、地方自治といった行政の基幹的制度の研究に集中していたという。これに対して、牧原教授が先端研で行っているのは、従来の行政学が目を向けてこなかった分野を研究対象としたものである。

「たとえば、私は『万博行政』についてここ最近研究しています。1970年の大阪万博を、当時の通産省にいた堺屋太一氏が企画・実施して以来、万博は経済産業省の所管なんです。そういえば堺屋さんは先端研OBでもあります。そして、万博には世界の首脳がやって来ますので、そこから外交という側面が生まれてきます。万博には皇室の存在と皇室外交が非常に重要です。19世紀のヨーロッパで開催された万博は王室がスポンサーでしたし、大阪万博の名誉総裁は当時皇太子だった明仁親王、現在の上皇です。昭和天皇も上皇も万博と博覧会に、大きな興味関心を示してきました。こうした万博に関わる政治や行政、あるいは日本の国家という問題を行政学のテーマとして扱うことは、先端研だからできたことだと思います。オーソドキシーを守るのではなく、新領域の開拓を目指す先端研という組織に来たことで、私の立ち位置がそれまでとは大きく変わったのです」

「それから、私の研究室で若林悠さん(現 先端研特任助教)が博士論文として最近公刊した『日本気象行政史の研究』、これも大変おもしろいテーマです。天気予報は、日本人が毎日利用している行政サービスですよね。でも、これまで誰も気象庁や気象行政のことを行政学の視点から研究してきませんでした。若林さんは、先端研の気象学研究室と連携して気象庁の歴代長官にインタビューを行い、関係史料を丹念に読み解いて、日本社会における気象行政の変遷を描き出し、その意味するところを明らかにしたのです。こうした研究は、社会科学系統の組織にいたらできなかったことでしょうね」

森羅万象と関わる行政のあらゆる分野を研究対象とする新たな(そしてそれが本来の)行政学を、先端研という場で創出している──それが牧原研究室の姿だといえるだろう。

研究室にて特任助教の若林氏(左)と議論する牧原教授
研究室にて特任助教の若林氏(左)と議論する牧原教授。

「オーラル・ヒストリー」の活用

研究を行う際に、牧原教授は「歴史」の視点を重視する。今現在起こっている政治現象・社会現象だけを見るのではなく、過去と現在をたえずクロスオーバーさせながら全体を「見渡す」ことを目指すのだ。そのための研究手法として活用されているのが「オーラル・ヒストリー」である。

オーラル・ヒストリーとは、政治家、行政官、文化人など公人が語った経験を記録するプロジェクトのことだ。歴史学では従来、文献(文字の史料)が重視され、一方で「聞き取り」という手法は古来存在したものの軽んじられる傾向があった。

しかし近年、オーラル・ヒストリーの価値は見直されている。その理由として、歴史学において「戦後」が研究対象とされるようになってきたことが挙げられる。現代に近づくほど史料を読んでも分からないことが多く、何にフォーカスを当てるべきかが「聞き取り」から浮かび上がってくるのだ。また政治学においては、2009年と2012年の2度の政権交代を経て、公人としての経験を回顧し記録するという伝統が、日本社会に根付きつつあることも大きい。

牧原教授は御厨貴(みくりやたかし)・先端研客員教授と連携を取りながら、官邸機能研究、戦後政治研究などを中心に、インタビューと史料の分析を行ってきた。『聞き書 野中広務回顧録』(岩波書店、2012年)の上梓など、多くの成果を出しており、現在も内閣府事務次官経験者や財務大臣経験者などへの聞き取りを続けている。

牧原教授によると、最近のオーラル・ヒストリーには2つの「性格の変化」が見られるという。1つは、オーラルが非常に精巧で長大になったこと。かつてのインタビュイーは書かれた日記やメモなどを頼りに質問に答えていたが、今はパソコンの中に当時の文書が丸ごと残っており、それをもとに詳しく語る人が増えているからだ。もう1つは「しゃべりたくない」と考える人が出てきていること。これは現在の政権への「忖度」から来るものだ。

「先ほど時計台の裏側を見ましたが、物事の作動の様子は裏側からしか見られません。そうした作動の一端を見る手法が、オーラル・ヒストリーです。それに史料の分析を組み合わせて、さらにプラスアルファの部分、たとえば私が委員を務めている官公庁関係機関で得られた情報などを加味して、作動を理解しようというのが私のスタンスです」と牧原教授は説明する。

牧原教授「三部作」
牧原教授が先端研に着任してから上梓した「三部作」(後述)。日本政治の過去・現在・未来の姿をそれぞれ描出したものとなっている。

シームレスな改革に求められる「作動学」

牧原教授は著書『崩れる政治を立て直す――21世紀の日本行政改革論』(講談社現代新書、2018年)のなかで「作動学」の重要性を提唱した。「制度がどのように作動するかを予測し、その評価・検証をしつつ、制度の設計を考える営み」を作動学と定義して、制度をどのように改革するか(改革案だけ)を考える「改革学」に対置させたのである。

近年、制度改革を行っても、新制度がうまく作動しない、あるいは作動に大きな労力がかかるなど、諸問題が噴出するケースが目につく。身近な例でいえば、2019年3月時点で普及率が13%程度にとどまるマイナンバーカードや、欠席者や辞退者が相当数に上る裁判員制度などである。制度の導入予定日に延期が急遽決まった大学入学共通テストへの英語民間検定試験も、これに含まれる(制度が始まる予定だった2019年11月1日に延期が発表された)。

「従来の政治・行政の改革論では、新たな制度をどう設計し、改革案をどう成立させるかということだけが重視されてきました。既得権益者からの抵抗を排除して、制度改革を実現さえすれば、制度は作動するだろうという楽観的な想定があったのです。そのため、改革案が成立した後、それはどう作動するのかという観点がもともと欠落しており、それが次第に大きな問題を引き起こし始めています」と牧原教授は指摘する。

さらに牧原教授は、情報システムが発達した現在は、新制度に円滑に移行する「シームレスな改革」が必須だと語る。かつては、新制度をとりあえずスタートさせて、問題が発生したら対応するという手法が可能だった。しかし情報空間を通して高速かつ大量に情報が交換される現在、制度を変える際には従来の制度を動かしたまま、瞬間的に制度を付け替えて、速度を落とさずに新制度を稼働させなければならない。天皇の退位・新天皇の即位の議論や、新元号の発表時期の問題も、まさにこの「円滑な移行」を考慮したものだったのだ。

「シームレスな改革を実現するには、新制度が最初から高速で作動できるかどうかを事前に予測・検証しておく必要があり、作動学が求められるのです」

牧原教授
研究への思いを語る牧原教授。「将来は現在とはまったく違うことを研究しているかもしれません」とも。

「出城」をつなぐ異分野融合のメタプロジェクト

「森羅万象が行政と関わるがゆえに、先端研のあらゆる分野と私は接点を持ちえます。したがって、先端研の先生はそれぞれの『出城』で先端的なプロジェクトを進めていますが、私はそれらをつなぐ『メタプロジェクト』を作ろうと考えています。そして先端研は本来、そうした連携を期待されている組織だと考えています」

そう語る牧原先生が生み出した「異分野融合プロジェクト」の1つが「地域共創リビングラボ」だ。これは先端研で生まれた「知」やネットワークを、各地域の問題解決に活かす「地域連携プロジェクト」である。
地域産業活性化活動、震災復興、コミュニティ再生、研究交流や人材育成から新しい働き方の実証実験まで、さまざまなプロジェクトで地方自治体や地域と連携を行っている。石川県・熊本県・和歌山県・いわき市・神戸市などがそのパートナーだ。

「特定の研究室と地方自治体との『1対1』の連携関係を、『多対多』のマルチな連携に結び直そうというのが、私たちの狙いです」と語る牧原教授は、小泉秀樹教授(共創まちづくり分野)とともにプロジェクト全体をリードしつつ、委員を務める地方制度調査会やそれにまつわるさまざまな研究報告・講演で本プロジェクトのPRを行っている。

また、東日本大震災や熊本地震の「アーカイブ・プロジェクト」にも牧原教授は注力している。震災の記録や記憶を収集し、そこから生まれた知見を防災・減災に結びつけるために、分野横断型のプロジェクトを展開している。さらには、先端研の公認キャラクター(ゆるキャラ)「せんタン」は、稲見昌彦教授・檜山敦講師(身体情報学分野)との立ち話で発案・誕生したものである。

「先端研における文系の諸学問は、先端研を全所的に『全作動』させる駆動装置の役割を果たすものだと、私は考えています。そうした役割を担うには、政治学・行政学はきわめて適合度が高いものだと思うのです」と牧原教授は力説する。

檜山講師と先端研公認キャラクター「せんタン」のぬいぐるみ
先端研の檜山講師(右)が手にしているのが、先端研公認キャラクター「せんタン」のぬいぐるみ。©Izuru Makihara

「見渡す」という行為が意味するもの

過去・現在・未来の日本政治の姿を描いた三部作『権力移行――何が政治を安定させるのか』(NHK出版、2013年)、『「安倍一強」の謎』(朝日新聞出版、2016年)、『崩れる政治を立て直す』(講談社、2018年)の上梓。東大の教養課程の学生や高校生を対象にしたゼミ「読み破る政治学」の開催。朝日・読売・毎日の各新聞での時評の担当。読売新聞での書評担当。メディアにおける政治批評。内閣府・地方制度調査会委員など官公庁関係機関等の委員の歴任。などなど……。

まさに八面六臂の活躍を続ける牧原教授。いったいどんな思いが、教授を動かしているのだろうか。

「この先端研に来て、時計台を毎日見上げるにつれて、私は『見渡したい』という欲求が増してきています。行政学・政治学を見渡したい。先端研を見渡したい。歴史を見渡したい。文系の学問は基本的に、細部の緻密な分析になりがちなのですが、私の思いは少し違っています」

本棚から読む平成史
読売新聞での書評をまとめた書籍『本棚から読む平成史』(河出書房新社、2019年)。牧原教授によれば、書評も「見渡す」うえでの大事な営みだという。

20世紀前半に活躍したドイツの哲学者・思想家のヴァルター・ベンヤミンは、パリの博覧会で当時人気を集めた「パノラマ」について論評した。ここでいうパノラマとは、円形の巨大な建造物の内部に異国の風景などを本物そっくりに描き、それを来訪者が楽しむという娯楽装置のことだ。

「パノラマは『見渡す』という行為を装置化したものです。そして万博そのものが『見渡す』という行為を実現する装置にもなっています。万博行政の研究の中で、私は昭和天皇と万博の関係を考察しましたが、昭和天皇は『見渡す』ことを熱望した人物であり、万博やもろもろの博覧会を通して世界を見渡そうとしていたのだと思っています。そして大阪万博を企画した堺屋太一という人もまた、『油断!』『団塊の世代』『峠の群像』などを読むにつけ、やはり見渡したい人だったのだと思うのです。」

先端研だけでなく各所で行われている震災記録のアーカイブ作りも、未曾有の自然災害の全体像を「見渡そう」とする行為だといえる。そして現代社会において、この「見渡したい」という思いや営みは、日本はもちろんのこと、世界的に、かつてより深まっていると牧原教授は見ている。それはなぜなのか、それが何を意味するのか──牧原教授は今、それを考えているという。

見渡すとは、2次元的な移動や越境とは違う、3次元的な振る舞いだと牧原教授は言い、「だから私は時計台に昇るのが好きなのでしょうね」と笑った。「見渡そう」という牧原教授の挑戦は、これからも続いていく。

牧原 出(まきはら いづる)
牧原 出

1990年3月、東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手、東北大学法学部助教授、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員、東北大学大学院法学研究科教授を経て、2013年4月より現職。専攻は行政学・政治学。オーラル・ヒストリーの手法を活用した官邸機能研究、戦後政治研究などを行う。理論と実務、自然科学と社会科学をクロスオーバーさせた先端公共政策研究にも取り組む。2011年に博士(学術):東京大学。著書『内閣政治と「大蔵省支配」──政治主導の条件』(中央公論新社、2003年)でサントリー学芸賞受賞。

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