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第29回 知的財産法 分野 玉井 克哉 教授

玉井克也教授

法学における「先端」

「玉井さんのジャンルは、データを取らなくてもいいんだそうだね。うらやましいなぁ」とは、次世代半導体の研究をしておられた南谷崇センター長(当時)の言である。私の答えは、「何をおっしゃいます。先生は、何のデータもなしで他人を説得することができますか」だった。「データなし?それは無理だなぁ」。「そうでしょう。法学者というのは、そういう難しい仕事をしているのです」。会話は、そう進んだ。

先端研の研究分野の多くは、ニュートン以降の自然科学をベースにしている。データによる実証と数量化が、その基本である。「文科系」と一括りにされる分野でも、経済学を筆頭にその影響は強い。だが、法学は違う。ニュートンどころか、約一千年も前から基本的な方法論が変わっていない。実証的な研究も発展してきているのだが、それはまだ主流ではない。

法というのは社会を運営するためのルールであり、人間界の約束事である。神の創った自然の法は変わらないが、この世の約束事は変えられる。社会の中でコンセンサスを得られる信念を土台に、安全で豊かな社会という目標を具体的に実現するためのルールが、法である。それを構想するのが、法学者の役割ということになる。もちろん、法を創るのは法学者ではない。国会が立法をし、その原案は政府が作る。国会の制定した法を解釈するのは、裁判所の役割である。政府、国会、それに裁判所に対してあるべき法を提言し、説得するのが、法学者の仕事である。国や社会を豊かにして皆を幸せにする、そのための法創造に貢献するのが、目標ということになる。

さて、法学における「先端」とは何か。先端研の同僚から学んだ中で最も大きかったのは、「先見性」の大事さだった。国会の決めた法律や裁判所の出した判決を批判する仕事をする法学者は、極めて多い。だが、誰も気がついていない問題を指摘したり、これから起こる現象についての解決策を提案したりすることは、法学者の領分とはされてこなかった。先端研に法学者が在籍している意味は、それらを手がけることだと考えている。

先端研第一世代の先輩たちが私をスカウトしたのは約四半世紀前のことだが、それも「これから知的財産が大事になるだろう」という見通しがあったからだ。そのころはまだ産学連携がタブー視されていたが、「これからの日本に必要だ」と考えて、技術移転の仕組みを作った。特許制度が技術の標準化にとってネックになると考えて研究を始めたのが約15年前、先進IT企業のデータ独占が大問題だと警鐘を鳴らしたりしたのが約10年前、営業秘密が日本にとって大問題だと理解したのが約5年前。今日では、いずれも極めて重要だとされている。「先見性」はあったのではないかと思う。今後は、「技術安全保障」をキーワードに、研究を進めたいと思っている。冷戦終結後、「世界は一つ、科学技術には国境がない」という理念が実現するかに見えた世界が、再び分割されようとしている。それを法学的に明するのが、中心になるだろう。

とはいえ、着任した時点では、「10年くらいで知的財産が重要な時代は終わるだろう」「そうなったら別の分野に専門を変えよう」と思っていた。その見込みは、はずれてしまった。その点では、まったく先見性がなかった。人は、自分のことを客観視することはできない。それもまた、法学の基本なのだが。

(2020年2月)

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