1. ホーム
  2. 研究について
  3. リレーエッセイ 先端とは何か
  4. 第30回 グローバルセキュリティ・宗教 分野 小泉 悠 特任助教

第30回 グローバルセキュリティ・宗教 分野 小泉 悠 特任助教

小泉 悠 特任助教

「関数」としての政策研究者

ロシアの安全保障政策を研究しています。さて、こういうことを扱うときの「先端」ってなんでしょうか。「こういうこと」というのはつまり、外国のことや政策のこと、言い換えると自分以外の誰かが取り仕切って行っている政治的営みということです。それらの細部まで知り尽くしているという意味ならば、「先端」を行っているのは現場の役人でしょう。あるいはその政策に込められた国家的な意思や思惑ということならば、政策決定者(つまりプーチン大統領やその周辺)が一番よくわかっているに決まっています。そして研究者が彼らにかなわないことは明らかです。安全保障の話は国家機密の対象となるものも多く、制約はさらに強まります。

これは研究者として結構特殊な立場だと思います。キタキツネの研究者は概ねキタキツネ本人よりもキタキツネのことをよく知っていると思いますが、政策研究者はどうしても研究対象に比べて知識で劣るのです。では、政策研究者の存在意義とは何なのか。私は、これを「関数」と考えています。どういうことなのか説明するために突然お尋ねしますが、「対テロ作戦」という言葉からどんな情景が想起されるでしょうか。黒づくめの特殊部隊がドアを蹴破って建物に突入していくと、しばらくのちにテロリストが首根っこを掴まれて連れ出されてくる、といったあたりが最大公約数的なイメージだと思います。

ところがロシア軍の演習などで見られる「対テロ作戦」は大きく異なります。「テロリスト」は何故か巡航ミサイルによる集中攻撃能力を有しており、ロシア軍は防空システムによってこれを排除しつつ、戦車や戦術弾道ミサイルまで動員して「対テロ作戦」を遂行します。これではただの「戦争」ではないか、と混乱しますが、こうした訳の分からなさを腑分けして、相手なりの論理を見つけ出すところに研究者の役割があるのだと思うのです。

ロシア政府が発行する政策文書、メディアやネット上を行き交う言説、ロシア内外の学者たちによる研究。こうしたものと倦まずに付き合っていくと、なんとなく「絵」が見えてきます。1990年代のチェチェン紛争での経験から、ロシアでは「テロ」が犯罪というよりも「国家の分裂」というイメージに強く紐づけられていること。ロシアの右派や保守派はテロや民主化運動の裏にアメリカの陰謀があると考えてきたこと。そしてロシアの将軍たちが、テロや民兵の蜂起と正規軍とを組み合わせたハイブリッドな軍事戦略を考案しているらしいこと。したがってロシアが考える対テロ作戦とは「自国ないし友好国で外国の陰謀による内乱が発生し、国家分裂の危機が生じるのを阻止する軍事作戦」に帰着すること…暗号のアルゴリズムを探り出すようにして「彼らの論理」を理解し、一見混沌した状況に筋道を見出すというのが私の考える研究者像といってもいいかもしれません。

欧米のシンクタンクなどではこうした手法(を使える人間)は珍しくありませんし、日本にもそれができる研究者は相当います。ただ、それを組織化して知見のパッケージとして提供するということが行われていない。先端研という恵まれた環境に加えていただけているこの時間に、学問知で「今」に挑む拠点を作りたいというのが私の目指す「先端」であり、願いでもあります。

(2020年6月)

ページの先頭へ戻る