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第33回 所長室URA 喜多山 篤 特任講師

喜多山篤特任講師

先端を裏側から見る

研究者が自由な発想に基づき前人未到の領域を開拓する知的創造活動において、武器となる先端研究の切っ先は鋭くしなやかに尖っている。しかし、その根元には太く強靭な知の蓄積が基盤となっている。 2019年暮れに中国・武漢で確認された新型コロナウイルス感染症COVID-19は、その後瞬く間に世界中に拡大した。パンデミック収束の切り札として、ワープスピードで開発されたワクチンの接種が日本でも開始されている。現在進行形である先端研究の社会実装事例として、このmRNAワクチン開発の裏にある知の蓄積を見てみよう。

2019年12月のCOVID-19公式文書化以降、新型コロナウイルスSARS-CoV-2を丸裸にするゲノム解読やタンパク質構造解析が数日から1~2ヶ月の間に発表され、mRNAワクチンの臨床試験は2020年3月に開始されている。鋭く尖った「先端研究」の切れ味には畏怖すら覚える。

従来の感染症ワクチンには、病原性を弱めた弱毒型ウイルスの「生ワクチン」(麻疹、BCGなど)、または病原性をなくしたウイルスの一部を用いる「不活化ワクチン」(インフルエンザなど)がある。しかし、弱毒ウイルス株の樹立には時間がかかり、また不活化ワクチンには大量のウイルスが必要であった。一方、mRNAワクチンの本体は、SARS-CoV-2スパイク蛋白質のmRNAである。このワクチン投与により細胞内でスパイク蛋白質が生産され、中和抗体の産生(液性免疫)に加え、同時にキラーT細胞の活性化(細胞性免疫)も起こると考えられている。これまでにない原理のワクチンであるが、臨床データの有効性は驚異的に高く、強力な感染予防効果によりパンデミック収束を期待したい。

mRNAを薬として体内に投与するというアイデアは、DNAを筋注して遺伝子発現させた1990年の論文でも試されているが、mRNAは生体内ですぐに分解されてしまうという課題があった。真核細胞mRNAの5’末端にあるCap構造はmRNAの安定性や翻訳効率に重要だが、in vitro合成したRNAにCap構造を付加する手法の開発がブレークスルーとなった。mRNAワクチンでもCap構造(の修飾体)が付加されている。このCap構造を発見した三浦謹一郎先生は「セレンディピティの重要性」を説き、「科学には基礎も応用もない」とおっしゃっていたが、今回のmRNAワクチン開発研究にも当てはまるだろう。

ウイルス感染した細胞では大量のRNAが産生され、塩基修飾が追いつかず、未修飾RNAが大量に産生される。免疫システムは、このような未修飾核酸を感知し自然免疫を誘導するが、導入する核酸の塩基を修飾すると免疫システムの誘導を逃れ、タンパク質合成効率が向上する。mRNAワクチンでも全てのウリジンが1-メチルシュードウリジンに変更されている。

mRNA翻訳領域ではコドンが最適化され、またMERSコロナウイルスの研究成果により、スパイク蛋白質が融合前の構造を保ち中和抗体を産生されやすくするために、K986PとV987Pという変異も導入されている。一方、mRNAの5’および3’非翻訳領域には、安定性を高め翻訳効率を増加させるための配列が挿入されている。

ワクチンに用いられるmRNAは、T7RNAポリメラーゼで生産されるが、このT7RNAポリメラーゼも、不都合な副産物である二本鎖RNAの合成を抑制するべく、多数の変異を加えた改良型T7RNAポリメラーゼが用いられている。

mRNAワクチンの実用化・普及は「イノベーション」であるが、振り返ると先人により体系化された知の蓄積が基盤となっている。研究推進を支援するプロフェッショナルとして、先端研の尖った研究力を磨いていきたい。

(2021年5月)

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