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第37回 当事者研究分野 綾屋紗月 特任講師

綾屋紗月 特任講師周縁から先端へ

周縁化されたマイノリティの多くは、経験を分かち合える同時代の仲間や先人とのつながりを得られずに孤立している。ひとつにそれは、空間と時間を超えて私たちをつなぐ言葉がマジョリティ向けにできているからだ。当事者研究はマイノリティの経験に言葉を生み出し、自分や仲間、そして先人とつながっていくいとなみとも言える。

周縁から先端へ —— 私が「先端にいる」と感じた瞬間はこれまでに2度ほどあるように思う。1度目は30歳を過ぎた頃、自閉スペクトラム症の診断を得た帰りの電車の中だった。それまでの私は、物心ついたときから続く、自分の身体感覚および自分の周囲で起きている現象の解釈のしづらさに苦労していた。自分のことも周囲の事物のことも「確かに在る」という実感を持ちづらい世界は混沌としており、私はなるべく予測可能で意味の分かる小さくて安全な日常を過ごしたいと望んでいた。しかしそんな私にとっては、人から見れば微細な変化やできごとであっても「想定とのズレ」や「周囲の人々とのズレ」が一大事となってしまう。そのため、「なぜこういうことが生じたのか」「なぜ私はこうなってしまったのか」と意味づけできないたくさんの経験が、その場その場で時間がストップしたままの写真を平面上にぶちまけたように、時間感覚を伴わない状態で私の中に保存されていった。さらにそうした数多くの記憶がランダムにしつこく思い出されてしまうことも、私の苦しみの1つだった。それがその日、自閉スペクトラム症というひとつの物語を得た際に、長年蓄積してきた数々の記憶が2歳、4歳、16歳、23歳…と時間軸に沿って私の背後に一直線上に並び、それらが私の背中から次々と流れ込んできた。その勢いで、前方には何もない最先端へと私の身体がドンッと後ろから押し出されたかのように感じたのである。

2度目はそれから約15年後、精神障害を抱えた人々の活動の中から生まれた「当事者研究」が誕生するまでの歴史をまとめる作業が一段落した頃だった。それまでの私は、自分個人の当事者研究や発達障害の仲間との当事者研究に取り組んでいたが、そうした日々の実践の中での奮闘の在り方が果たして正解なのかどうかを判断できず、どこか孤立感を味わっていた。しかし、当事者研究の誕生に影響を与えることになった活動を率いてきた難病患者、身体障害者、依存症者の先人たちや、当事者研究が誕生した当時を知る先輩や仲間たち、またそうした当事者の活動を支援してきた人たちに直接会って話を聞き、彼らの記録を整理したことで、場所や時間を越えた多くの仲間と先人たちに背後を支えられているような感覚と、さえぎるものがない正面から吹く向かい風に抗って彼らの尊厳を守らねばならない責任のようなものを感じるようになったのである。その結果、以前であれば人々の無理解な態度に直面した際に委縮し、孤立感と共に黙り込んでしまっていたような状況で、徐々に当事者としての意見を述べられるようになっていった。

周縁の地で混沌や奮闘の中にいた頃と同様、私の未来はあいかわらず不確実である。しかしかつてのように、前後不覚な不確実性の渦に巻き込まれて孤立しているわけではない。となりには同時代の仲間を、背後には過去の私と先ゆく仲間を感じながら、現在の私は目の前に広がる不確実性の荒野に踏み出そうとしている —— 私にとっての「先端」とはそのようなものかもしれない。

(2022年7月)

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