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羽田空港でデジタルパブリックアート「空気の港」を鑑賞する

  • 先端研ニュース

2009年10月9日

10月9日から羽田空港第1、第2ターミナルでデジタルパブリックアート「空気の港 テクノロジー×空気で感じる新しい世界」が開催されています(11月3日が最終日)。これは廣瀬通孝教授を中心に、メディア技術を活用したパブリックアートを生み出す基盤技術を研究するプロジェクトの締めくくりとして行われているもので、アーティストでもある鈴木康広特任助教がアートディレクターをつとめています。
そこで、先端学際工学専攻の博士課程1年(専門は古代美術史。先端研では、支援技術と「美術史・美術解釈技法」を組み合わせた研究を行っています)の秋田麻早子さんにレポートをお願いしました。

タイトルにある「空気」は、アーティスト鈴木氏がオープニングで述べたように、身近ながらも長らく正体不明な存在だったようです。「アート」も少しそれに似ていて、あちこちで見かけるものの、一体どう付き合ったらいいかと戸惑う対象ではないでしょうか?
相手が「アート」となると、つい構えてしまう。何か読み取らないといけない、気が利いたコメントを述べなくてはいけない、美術の壮大な歴史の中における位置づけを知識として持っていないといけない、という気負いが多くの人に伺われます。また、楽しんだつもりだがこれでいいのかと多少不安な思いに囚われることもあるかもかもしれません。
そこには、「芸術作品は芸術家の意思やメッセージを具現化したもので、それを読み取らないといけない」という受け身な鑑賞方法への思い込みの強さがないでしょうか。さて、この「空気の港」の作品たち。アーティスト主体のメッセージ性の強い作品ではなく、鑑賞者参加型、つまりインタラクションを通した文脈で作品が成り立っていく、というスタイルを取っています。見る人をウェルカムしてくれる、温かい印象を与える作品ばかりです。
例えば、自分が歩く先にライトで足跡が照らし出される『未来の足跡』。速度を計算して予測した先に足跡が浮かびあがるのですが、どう感じるでしょう?自分の未来が決定されている気分?自由意思を発揮してあえて避けて歩きたくなる?他人に行動を読まれている不安?時間の隙間に入ったような不思議感?
どう感じるかはその人の背負う背景ごとに違うはず。作者本人が言われるように、作品を通して、見る人ごとに“気づき”や“振り返り”が起きることこそが狙いのようです。喩えるなら連歌の会で参加者のインスピレーションを喚起するような発句を提示し、次の人にどんな句を詠みますか?と投げかけているよう。一人一人が感じたことが重なりあって出来るイメージ全体が作品世界を作り上げているのではないでしょうか。あなたが戸惑いを感じるとしたら、そんなあなたの姿も別の鑑賞者にとって作品の一部となっていることでしょう。
展覧会は、その期間にそこに偶然居合わせた人たちごとに、瞬間瞬間で全く違った様相を生み出すことが期待できます。また同時にそのように動的でありながら、一種の有機体のような恒常性をもった体験の場を提供するアート。鑑賞法に悩まず参加できて、しかもその一部になれるまさにパブリックな場にふさわしい作品たちでしょう。(秋田麻早子)

図1
作品「大きな空気の人」

図2
作品「出発の星座」

図3
作品「風見鶏の視線」
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