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いちばん近い秘境へ・・・キャンパス内1.5時間の旅

 隅蔵 康一(先端学際工学専攻・軽部研究室)

旅によって、人は非日常へといざなわれる。そして非日常が存在するが故に、人はよりよい日常を生きることができるのであろう。私もこれまで、さまざまな旅をしてきた。あるときは自然の息吹を求めて山へ、またあるときは新しい発見を求めて海外へ。しかし、旅の目的地はなにもこのような場所に限ったものではない。みずからが日常をすごしている場所であっても、そこに何らかの非日常を発見することができれば、それはすでに立派な旅である。私は九月のある晴れた午後に、 先端研施設掛の小松崎丈夫さんのご案内のもと、私たちが日々の研究生活を送るこのキャンパスをめぐる旅にでた。同行者は、立花隆先生と「先端研探検団」の仲間たちである。

時計台の上からは360度の大パノラマが

事務部のある13号館には、ご存じのように落ちついた雰囲気の時計台がある。この時計台は、1929年にこの地に航空研究所が移転されると同時に完成し、以後、敗戦を経て、理工学研究所、航空研究所(第二次)、宇宙航空研究所、宇宙科学研究所、境界領域研究所、そして先端研と続くこのキャンパスの歴史を静かに見守ってきたのである。この建物を通り過ぎるたびに、時計台の中はどうなっているのだろうと疑問に思っていたのは、私だけではないだろう。というわけで、私たちはまず最初に時計台の中に潜入することにした。

13号館の3階から階段を少し上ったところに扉がある。通常そこにはカギがかかっており、行く手を遮っている。小松崎さんにカギを開けていただいて中に進み階段を行くと、そこには通路に面して倉庫があった。中には論文集のようなものがぎっしり見受けられたが、古すぎてどこが管理しているものなのかもわからない、とのことだった。研究所の名称が変わり住人が入れ替わるたびに、大がかりな引っ越しが行われたことは想像に難くないが、こんな場所に保管されたものは、引っ越しのときにさえも忘れられて取り残され、そのままになってしまったのではないだろうか。そのひとつ上のフロアには書架があった。

次のフロアには、現在は使われていない給水タンクが現れた。さらに上に進むと、いよいよ時計と同じ高さにたどり着いた。時計の文字盤は四方すべてについていて、どれも正確に時を刻んでいるが、その秘密はここにあった。部屋の中央に四角い箱があり、電気でネジが巻かれてそれが時計の針の駆動力になっている。箱からは四方に細長い棒がのび、ネジの駆動力が各々の針に伝えられている。それぞれの文字盤の裏には自動点滅器と蛍光灯が仕掛けられており、暗くなると自動的に明かりがつき、夜でも時刻がはっきりとわかるようになっている。これだけの装置を保守管理するのはさぞたいへんだろうと思ったが、意外なことに、メンテナンスは60歳過ぎの職人さんがたった一人で行っているのだそうだ。その職人さんはなんと、およそ70年前にここに最初に時計をとりつけた人物の息子さん。親から子へと技術は伝承され、この時計台を支えているのだ。駆動設備は10~15年前に新しいものに交換されたものの、ブロンズの文字盤は70年前からずっと変わらずここにある。小松崎さんが一度その職人さんに「そろそろ時計を新しいのに換えましょうよ」と提案したところ、「絶対に壊れないから大丈夫」と言って譲らなかったとのこと。なかなかの職人気質である。

私たちは時計をあとにして、一人ずつしか上れないような階段(あるいは梯子と言った方が適切かもしれない)を経て、屋上へと繰り出した。風が強い。時計台の屋上だけに、スペースはさほど広くないが、360度どの方角も良く見渡せる。東京タワー、新宿のビル群、それに新宿御苑の緑。まさに東京の景観を独り占めにした気分である。神宮外苑の花火大会のときには絶好の見物スポットになるな、などと考えていたが、残念ながらここは通常は開放していない。ところでこの13号館は、グラウンドの側から見ると戦艦の形に見える。時計台がちょうど船橋の部分に相当する。この建物がずいぶんと非対称な形をしている理由がやっとわかった。こんなところにもこれが建てられた頃の時代背景がうかがわれ、おもしろい。

おそるおそる中央変電室へ

13号館をあとにして、次に私たちが目を付けたのは、テニスコートに隣接して正門の脇に存在する謎の建造物である。この建物ではいつも何かが行われている様子なのだが、実験設備とはひと味違った佇まいである。実はこの場所、中央変電室であり、この広いキャンパスの全域に電力を供給しているのである。「ここは危険ですから、とにかくどこにもさわらないでください」と、建物に足を踏み入れる前に小松崎さんが厳しく注意。いくら好奇心旺盛な私たちとはいえ、22,000ボルトもの電気がここにやってくると聞いては、おそるおそる中へと進んでゆくしかなかった。

中に入ると、この種の設備に特有のブーンといううなり音が聞こえてくる。中は二層構造になっており、パイプのようなもの(おそらくここを電気が流れているのだろう)が縦横に張り巡らされている。ここは特高(特別高圧)変電所であり、いまどき珍しい受電設備を用いているのだという。22,000ボルトの電気は、ここでトランスにより3,300ボルトまで落とされる。そして、キャンパス内を10のブロックに分け、それぞれのブロックごとに配電されている。3,300ボルトの電圧は、それぞれの場所にある屋外の変電設備により、200ボルトまで落とされることとなる。

ここで、屋外の変電設備についておもしろい話を聞いた。そこに用いられている導線は被覆されていないので、カラスが2本の導線をまたいで感電してしまい、停電になるということが、この敷地の中だけで2年に1回くらい起こるそうだ。今年は、このキャンパスの近くの東京電力の変電設備でカラスが停電を起こし、先端研もその被害を受けた。突然の停電により、パソコン・ワープロで作成中の文章が消えてしまい、悔しい思いをしたことのある方も多いと思うが、相手がカラスでは誰も恨めない。

さて、このキャンパスの消費電力は、かつては最大使用量1,800kWで契約していたこともあったが、現在は1,100kWである。これをオーバーすると罰金を払わなくてはならないので、特に夏期などは各研究室に節電をお願いしているという。そういえば、別の機会に風洞施設でお話をうかがった技官の渡辺さんは、風洞は電力を食うので実験は主に電力需要の少ない早朝に行うとおっしゃっていた。

装置に記された年代を見回したところ、いちばん古いもので昭和33年とあった。しかしこの建物自体は、いつからかははっきりしないがそれ以前から存在し、現在とほぼ同じ目的で利用されていたと推測されるということだ。

次第に部屋の環境に慣れて、持ち前の好奇心を取り戻し次々と質問を浴びせる私たちに、「もう行きましょうよ. . .」との小松崎さんの声。とにかく一人の感電者も出さずに無事に表に戻ってきた。

変電室をでて歩いていくと、左手にはテニスコートとゴルフ練習用の芝生が見える。後日、戦前からこの地で約40年間にわたって研究を行ってこられた河村名誉教授にお話をうかがったところ、昭和30年代に所長であった河田先生がゴルフ好きの方で、ここに練習設備を作られたのだそうだ。また右手には、異様なポーズをとった男の銅像が木々に埋もれて存在している、この像の由来については、河村先生ですらご存じでなかった。これについては先端研探検団の今後の調査対象としてとっておきたいと思う。

博物館になるはずが. . .

このキャンパスの中には、先端研(17棟)のみならずさまざまな部局の建物が混在している。手元の資料によると、埋蔵文化財調査室3棟、工学部6棟、気候システム研究センター1棟、人工物工学研・理学部1棟、宇宙科学研究所11棟、それに共通で利用するものが3棟と未使用が18棟である。その中でも、東側のグラウンドの横に位置する5号館は特殊であり、工学部・社会情報研究所・病院・環境安全センターの4部局が共同利用していることになっている。外から見ると、三角屋根の大きな厳めしい建物で、講堂か何かのように見えるが、内部はいったいどのようになっているのだろうか。私たちは、グラウンドに面した入り口からこの建物に足を踏み入れた。

中に入ると、まずは古い新聞が大量にストックされている部屋であった。よく見かける日本の一般紙に混じって、人民日報、NYタイムズなどもある。表紙に「S2、1月」と書いてあるものもあるので、相当古いものから保管されていることになる。うず高く積まれた新聞の群れをかき分けるようにして先に進むと、天井が高く広い部屋にでた。別の機会に先端研センター長の岸輝雄先生にうかがったところによると、先端研設立当時に岸先生らは密かにこの建物を博物館にするという夢を抱いていたそうだ。その計画は予算の都合で実現しなかったが、実際に広々としてその上厳かな雰囲気をたたえたこの部屋に立ってみると、博物館にするのにこれほどふさわしい場所はないように思えた。この部屋の中では、天井近くまでそびえ立つ巨大なクレーンが目を引く。その他、埋蔵文化財調査室のものと思われる土器の破片のストックや医学部の文献を納めた書架が整然と配置されていた。それに加え、化学系の実験をしている方にはお馴染みであろう、廃液を種類別に分別して回収するために色分けされた、環境安全センターのポリ容器も保管されていた。どれもみな、それぞれの部局で置場所に困ってここへ運ばれてきたのであろう。ここは東大の中で唯一「余分なスペース」をもった、贅沢なキャンパスであることが実感される。

一通り見回り終えた私たちは、新聞の部屋の二階へと続く階段を発見した。小松崎さんすら「上には行ったことがない」とおっしゃっていたが、今回は大人数なこともあって心強く、私たちは階上へと足を運んだ。そこで私たちが見たものは・・・何もない。単なるがらんとした部屋であった。壁のペンキがはがれ、かさぶた状になって床に落ち、さながら廃虚の様相を呈していた。この建物は天井が高すぎて暖房効率が悪いので、二階を作ることにより無理に天井を低くしたのではないか、というのが小松崎さんの仮説。「こんなところに誰かが隠れて住んでいたとしてもわからないなあ」などと言いながら、私たちはその不思議な部屋をあとにしたのだった。

大空に夢を追い続けて・・・航研機から先端航空宇宙技術まで

私たちが旅の最後に訪れたのは、キャンパスの南のはしにある、工学部航空学科の研究施設である。大空と共に歩んできたこの場所で、今どのような研究が行われているのだろうか。工学部航空学科長島研究室の伊藤技官に案内していただいた。

まず私たちは、キャンパス最南端の59号館に案内された。ここではスクラムジェットの開発を目標として、超音速における燃焼について調べるための実験が行われている。スクラムジェットは、大気中の空気を吸い込んで燃料を燃やし、推進力を得るジェットエンジンである。そこでスクラムジェットは、燃料の他に酸化剤を積んでゆかねばならない従来のロケットに比べて、軽い機体で宇宙へ飛び立てる上、比推力が高いのである。スクラムジェットの研究は、従来型ロケットの陰に隠れて光が当たらなかった時代もあったが、1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号の事故以来再び脚光を浴び始め、現在さかんに研究されている。

部屋の中央には、大きな球状の加熱器がある。これは、高温の空気を作る装置だ。中にはアルミナの細かい粒が1.5tも入っているという。数時間かけて都市ガスと空気でバーナーを燃やしてアルミナ粒を熱し、そこに空気を押し込むという方式をとることにより、1500度に熱した空気を700-800m/s(およそマッハ2)ものスピードで流すことができるのだそうだ。

次に私たちは、59号館のとなりの60号館へと向かった。この建物は、エアタンクを包み込むような形で建っているが、このエアタンクが先ほどの加熱器への空気の供給源となっている。60号館には、いくつかの超音速風洞がある。私たちが見学したマッハ2の風洞は、中にロケットのような形の模型が置かれており、主に「ソニック・ブーム」の研究が行われているそうである。ちなみに、質問するタイミングを逸したのであとで物理学辞典を引いてみたところ、ソニック・ブームの項目には「超音速で飛行する航空機の作る衝撃波が地上に達して生ずる爆発のような音。この音の圧力波形はN字型をしているが、このN波は大気の流れの状態によって変形や変調を受ける」とあった。

この超音速風洞は、昭和30年代に作られたものであり、昭和5年の完成以来多様な用途に用いられている1号館の3m風洞とは大きさも歴史の深さも異なるが、研究を愛し風洞を愛する方々の熱い思いはいずれ劣らぬものがあると感じられた。世界一の飛行距離を目指して日夜「航研機」の開発にいそしんでいた航空研の人々の精神は、60年の歳月を経た今もなおこの地に息づいているのである。

旅から戻って

これで本日の全行程を終了し、私たち一行は、小松崎さんにお礼の言葉を述べ、それぞれ帰路についた。私は、日常の研究生活を送る45号館に向かいながら、このキャンパスの長い歴史を構成する有名無名の人々に、またこのキャンパスに新しい歴史を刻もうとしている同時代の人々に思いをはせた。

私がこのキャンパスに通い始めたのは今年の4月。そのころには、この場所を単なる東大のひとつの敷地としかとらえていなかった。しかし、70年近くにもわたって日本の、いや世界の科学技術をリードしてきたこの地の歴史に触れるにつけ、みずからが今ここで研究活動を行っているという事実の重みをひしひしと感じずにはいられない。そしてまた、そのような歴史を掘り起こし、紹介するという作業に少しでも関われたことをたいへん幸せに思う。

科学技術は時代とともに移り変わるが、科学技術に携わるものの情熱は、あの時計台のようにいつの時代も変わることがない。変わりゆくもの、変わらぬもの・・・それらを発見するための私の旅は、これからもまた続いてゆく。

駒場農学校地図

<資料>
時計台下の資料庫で偶然発見した昭和7年発行の「東京帝国大学五十年史」にのっていた駒場農学校の地図。この農学校の東側が現在の東大教養学部になり、西側の端が現在先端研のある駒場第二キャンパスとなった。

<1995年10月発行 先端研探検団 第一回報告書13頁 掲載>

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