風洞について

和田 昭久(中島研)

日本の風洞の歴史は古く、明治時代にまで遡る。田中舘愛橘教授によって明治41年に製作されたものが、日本で最初の風洞と言われている。これは、荷物を入れて運ぶ長持ちの両端の板を取り除いて四角形断面の筒を作り、側面にガラス窓を作って内部が見えるようにしたものだった。一方の端から扇風機で風を送って実験を行った。その後フランスで考案された方式を参考にして、当時はまだ深川越中島にあった 東京帝国大学航空研究所(航研)において直径2mの風洞が作られた。この風洞は大正12年の関東大震災で、焼失してしまったが、大正15年から現在の駒場に場所を移して航研の再建が行われた。同時に風洞に関してもゲッチンゲン大学の「カルマン渦の研究」で有名なカルマン教授(1881~1963)や、プラントル教授(1875~1953、境界層理論の創始者)の高弟のウィーゼルスベルガ博士等を招いてその指導を仰ぎながら製作が進められた。 昭和5年に作られた3m風洞は、当時日本最大の風洞であった。終戦時に航研は解体されたが、この風洞は生き残り以後も種々の研究に使用されている。これは吹き出し孔の直径が3mという巨大なもので、回流部分の壁はコンクリートで固められ、吹き出し孔と吸い込み孔は木の板できれいに整形されて気流を整えている。

現在でもこの風洞を使用して実験をされている渡部技官にお話しをうかがった。

「私がここにまいりましたのが昭和35年で、その当時は国産輸送機のYS-11、東海道新幹線を主にやっていました。その他にも、例えば万博のフランス館やブルガリア館、富士山頂レーダや鹿島に在るレーダ、清里天文台のレーダといった建造物の実験、国鉄関係では、新幹線の他にリニアモータカーとそのパンタグラフの実験、また、宇宙研時代には、そのロケットの実験を行っております。さらに凧の安定性に関しての実験までやりました。 パラボラアンテナについては、NHKや八木アンテナから委託されて風圧実験を行いました。風車に関しても研究室のテーマとして、横型と縦型(プロペラを立てて回すもの)についてやりましたし、翼についても曲率のあるものとか、V型翼について実験を行いました。山中の高圧電線については、いまだに継続して実験を行っています。」

実に多彩な実験が行われている。この風洞は性能上は風速60m/秒の風を出せるものであるが、壊れてしまうと修理できない部分もあるので現在の実験は40m/秒以下に押さえているそうである。風速40m/秒というのは、台風の最大瞬間風速並であるが、チョモランマ山頂はこの程度の風が吹くことも珍しくないというので、ここにきて耐寒訓練を行ったチョモランマ遠征隊もあるという。この風速の下では、気を付けて歩かないとたちまち転倒してしまう。 また、風に向かっては呼吸もできないので息を吐くときは下を向くのだそうである。風洞自体の性能は、さらにその1.5倍の風速を出す力を秘めている。

この風洞で実験を行ったYS-11の模型も現存している。この2m程の大きさの模型は、初期設計と最終モデルのふたつの木製模型があり、最終モデルの方にはモータが入っていてプロペラを直接回すこともできるという本格的なものである。 渡部技官のお話しによると、この他に航研機の模型もこの先端研の敷地のどこかに眠っているはずとのことだった。

この3m風洞で風速40m/秒を出そうとするとその時の消費電力が約350kW、実に先端研全体の契約電力の1/3を消費してしまう。連続してこのような大電力を消費する実験は実際には少ないそうであるが、それでも冷暖房による電力消費が激しい夏と冬は早朝の電力需要の少ない時間帯に実験を行う。実験は、現在ではセンサを使用して風洞中の模型にかかる揚力、抗力、横力といった力やモーメントを電気的に計測しているが、10年程前までは風洞天秤というものを使用しており、 目盛りを読むだけで3人の人間が必要だったという。この風洞天秤は、非常に大がかりかつ緻密なもので、いまだに風洞の上の部屋の中に残されている。この天秤の側には、伝声管もついており、下の人間とこれから計測に入る合図等に使っていたという。さながら戦艦のブリッジにいるような錯覚すら受ける。現在は、カメラを下に置いてテレビを見ながら一人で実験を行う。

実験の苦労と思い出

この風洞用の設備は殆どが製作当時からのものを大切に使用してきており、その維持、修理にもひとかたならぬ苦労があるようだ。その原動力となる発電機や風を起こすプロペラを回すためのモータは、風洞製作当時のものをそのまま使用しており、風洞の奥の闇の中にその巨体を横たえている。古い装置が持つ独特の無骨な雰囲気の中に摺動部分の金属だけが、これらの装置が健在であることを示すかのように光っている。この風洞の動力はまず630馬力の直流発電機で 直流の電気を起こし、それで奥の直流モータを回し、その先に付いているプロペラの回転数を変えることにより風速を変える。これをワード・レオナルド法と言う。現在ではもうメーカにも図面が残っていないので、修理の時はその装置がわかる人に直接直して貰っている。モータも消耗品等は現物合わせで加工して作らないといけないというものが多い。この3m風洞の奥に1.5mの小風洞があるが、そのモータが去年絶縁不良で駄目になった。そのモータは、ここのモータよりも 古くて大正15年のものである。その時は福岡の方まで持って行って分解しながら新しい部品を作って直したそうである。

渡部技官「新しい物にすれば、気持ちよく使えるのですが、やはり古い風洞でやった実験との比較が大切になってきます。乱れの違う風洞でやりますとデータも変わってきてしまいます。比較実験などは古い風洞でいつもやっていないと、なにを比較しているのか判らなくなってしまうのです。」

また実験中の騒音も相当なもので、風速40m/秒位だと、高周波のキーンというような凄い音のために少し離れるともう人の声が聞こえなくなるような環境で実験を行う。従って風洞で長くやっている人は皆、耳がちょっと悪くなって、声が高くなってしまうそうである。そのような苦労の多い数々の業績の中で、最も思い出深い実験は何だったのだろうか。

渡部技官「やっぱり、今も続いているスキーのジャンプですね。これは昔、谷一郎先生がおやりになったんですけれども、札幌五輪でも優勝しました。最近V字飛行というのが流行ってきまして、今は長野五輪を目指して実験を行っています。」

これらの実験はジャンプ時のスキー板の角度を変数にして60数ケース実験した。現在計測は終わって、処理をしているところである。(乞、御期待!!)

飛行時ばかりでなく、その前の助走についても実験を行っている。2年程前に、当時の全日本の主力選手6人がこの風洞の中で、助走のフォームについて体験を行っている。選手の前にメータを置き、いろいろな姿勢をとって風の抵抗が少ない姿勢を測定した。風洞でやることで、いろいろ姿勢を試して、なおかつ結果をメータで見ることができ、選手の評判は上々であったとのことである。

結び

先端研には、この3m風洞をはじめ多くの風洞がある。昭和41年BOAC機が富士山の乱気流に巻き込まれて墜落したことでその解析を行った大気乱流風洞、植物の種子が回転しながら落下する様子を下方から風を当て空間に静止させて観察する垂直風洞、また、音速以上の流速を出せる高速風洞等である。今回風洞を取材する機会を得てその偉容にふれた。現代の日本から、日本の航空技術が世界と互角以上に肩を並べていた時代の 鼓動が感じられたことは今後の技術の在り方を問直す意味でも有意義であった。本文も、これらの風洞を見学する機会のある人々が同じような感慨を持つ一助にでもなれば幸いである。

〈参考文献〉
日本航空学術史(1910-1945) 日本航空学術史編集委員会編 丸善株式会社

3m風洞平面図

<1995年10月発行 先端研探検団 第一回報告書19頁 掲載>

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