走行実験設備を見る

北野 誠(軽部研)

渡辺 勲 技官に案内されて走行実験設備を見学した。この設備は、先端研キャンパスの東に位置し周りを雑草に覆われたスレート葺き建屋のなかにある。走行実験設備は航空機、特に垂直もしくはそれに近い角度で上昇する短距離離着陸機(V/STOL機)の飛行を研究するために建設され、1968年に設備全体が完成した。

VTOL機の説明は省略するとして(詳しい説明は、たとえば「谷 一郎著 飛行の原理岩波新書」に書かれているので参照されたい。)V/STOLとはV(垂直)に加えてS(短い)であるから、短い水平距離で離陸や着陸ができる航空機を意味している。これらは将来の航空機大量輸送時代をみこして、飛行場の立地に制限がある手狭な地方空港への切り札として開発が急がれた。

通常これら航空機の飛行運動の研究には風洞が用いられる。じかし風洞ではV/STOLのような低速の水平飛行速度で離発着する機体の運動を研究するのは難しい。まず、5m/secの一様な気流速度を作るのが困難であり、たとえできたとしてもその低風速で測定するにはあまりにも動圧が小さすぎた。それならいっそ静止気体中に機体をおいて、機体を低速で移動させてはどうかということでこういう装置が作られた。まさに逆転の発想である。

さて現地を案内していただいた。建物の中にはいると屋根におおわれたヨーロッパの鉄道プラットホームを思い出した。深さ 2m、幅 3.5m、長さ 185mのピットの上に機体を載せる台車がレール上に設置しである。(走行実験設備概要図 参照)V/STOLは普通の飛行機とは異り低速の範囲で安定性が重要となる。これを調べたり設計研究するための設備であるからレール自体の水平性が確保されなければならない。

「レール横の側溝ですが、これはずっとつながってまして、ここに水を入れて水面からの高さと傾きをあわせて調節するのです。レーザでやりますと地球の曲率で少しへこんでしまいます。水面からの距離でやれば、地球の曲率に沿ってできていますから。その精度は、台車上での振動加速度が1/100G以下という精度です。台車にはスプリング系は全然ないんです。スプリングがありますと一度揺れ出すといつまでも揺れてしまいます。ですからレールが完全に滑らかでないといけないんです。」

振動加速度1/100Gとはどの程度のものであろうか。

「レールの上にタバコの灰をポンと落として走らせますと、コトンとひろうんですよ。それでもう1/100Gを越えています。」

さらにこの建物も外乱を防ぐために様々な工夫が施されている。防音、防熱構造として建物内の対流現象を防いでいる。また夏期の太陽熱による温度傾斜を少なくするために屋上に換気扇と撒水機がとりつけてある。さらに建物の影響がピットにおよばないようにピットと建物の土台は完全に切り放した構造にしてある。しかし地震があると調整し直さなければならない。「これを調整しようとすると職人さんが1カ月くらいかかるんです。手作業ですから。何しろ、さっき説明しましたように、ここの水を入れて端からの高さをずっと測っていくわけですから。1カ月やってもらうと、約200万円くらいかかっちゃいました。今はとてもそんなお金はないので、できないんですね。」

その精度はどの程度のものだろうか。

「ちょっと詳しくは知りませんが、ミクロンに近い数字だと思います。これに水をいれて測っていくんですが、誰かがどこかでコンとたたくと波が行ったり来たりしておさまるのに一日かかります。ですから朝、そうゆうことをやってしまいますと、その日は仕事にならないんです。それでまた蒸発もしますから、毎朝どこかでちゃんと測って、朝だけじゃなくてある時間になると測って、そこを基準に次をやっていくことを繰り返します。それだけでは上下方向の調整にしかなりませんから、左右の調整もやらなくてはいけないんです。左右の調整というのは、反対側のレールの外にワイヤを張りまして、それだけだと垂れてしまいますからフロートをつけてバケツに浮かべて引っ張って直線を出します。そこから距離を測ってまず向こう側を調整します。向こう側が終わったらサブ台車の隅にマイクロメータが取り付けてありまして、それを手で押しながらこちら側を測って調整するわけです。腕のいい職人さんで1カ月位かかります。」

それでは当時の研究はなにを解決しようとしていたのか。

「詳しくはわかりませんが、飛行の制御だと思います。主にシングルロータのへリコプターの飛行安定性の研究をしていました。そのため自由航行支持システムという支持装置上にヘリコプターを乗せて研究したのです。」

普通の飛行機が失速以上の速度で飛んでいる時には手放し飛行できる。これは機体の三軸回りのモーメントが釣り合いを保てるからである。ヘリコプターがホバーしているときはこれができない。これは飛行機のような安定性がないからでありV/STOLのホバー中も同じである。そのため機体安定のための研究がこの分野では極めて重要であった。

結び

日本はおろか世界的にも珍しいこの設備を下支えしていたのは、ミクロン単位の寸法調整に携わる職人芸であった。研究というものは、本来いくつかの前提で限られた条件での自然現象を取り扱うため、実用化においてはその前提を忠実に再現したり改変したりする事が必要である。科学技術とは離れた存在としてみられているこの技能というものこそが、科学技術の発展や普及というプロセスでは結局のところ必要とされているのかもしれない。

レール敷設長さ 185m
レールゲージ 3860mm
レール 鉄道用30kg レール
レール敷設精度
(上下左右共)
全体として±5/100mm 以下に、また相隣るチェアの誤差は
±2/100mm 以下に抑える
台車走行時(10m/s)の最大振動加速度 1/100g以下*
レールチェアピッチ 830mm

* gは重力の加速度(9.80m/sec2)との比を示す。

<1995年10月発行 先端研探検団 第一回報告書21頁 掲載>

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