013:髙橋 麻衣子 講師

髙橋麻衣子 講師

髙橋麻衣子 講師

髙橋 麻衣子 講師

人間支援工学 分野

公開日:2021年12月17日

子どもたち一人ひとりに、最適な学びを――
人間支援工学の挑戦

読書は学習のあらゆる基本だ。最初は音読から始め、やがて黙読へ移行する。これが小学校での国語教育の基本的な流れだ。ところが子どもたちのなかには、黙読を苦手とするばかりか、そもそも黙読のできない子どももいる。読めない子どもたちの学びについて、どのように支援すべきなのか。
たとえ読むのが苦手でも、聞けばきちんと理解できる子どもがいる。みんなの前では意見をいえなくても、書いて自分の意見を表現できる子どももいる。子どもの学び方は一人ひとり違う。髙橋麻衣子講師は、人間支援工学のさまざまなノウハウを活用し、教育の望ましいあり方を模索している。

黙読と音読、読解に関する本質的な違い

文章を読んで、書かれている内容を理解する。いわゆる読解能力の育成は、学校教育の重要な目標の一つである。読解には音読と黙読があり、小学校の指導では黙読による読解能力習得を一つのゴールと設定している。
「本は黙読するのが当たり前、そう思っていました。私は子どもの頃から本が大好きで、幼稚園の年中さんの頃から読んでいたのです。自分では意識していなかったのですが、学校の先生だった祖母があるとき『あれ?この子、本を黙読しているわ!』と驚いたのを覚えています。本を読むのは、誰にとってもごく普通の楽しみだと思っていたので、大学に入って失読症の人の話を聞いたときにはびっくりしました」

失読症とは、視覚が正常で発語にも何ら支障などないにもかかわらず、文字や文章を読んで理解できない症状を表す。読字不能あるいは視覚性失語症とも呼ばれる。
失読症と診断されていなくても、黙読で読んでも理解できない子どもも少なくない。なぜ読んでも理解できないのか。私たちは言葉を理解する際、主に「音」から理解する。そのため黙読する場合は意識を集中していないと、文字を音に変えることなく、目が文字の上を滑って「眺める」だけになってしまい中身を理解できなくなるからだ。読みが苦手な子どもは、文字を音に変えることはできても、その後に頭をうまく使えていないケースが多いと髙橋講師は指摘する。
「読解を子どもたちに指導すると、よく分かります。読むのが苦手な子どもは、ただ字面だけを追っているケースが多いのです。こうした子どもたちの多くは、音読する場合でも文字を単に音に変えているだけで、書かれている内容そのものは理解できていないケースがよくあります。だから『読みました』と言ってきても、『何が書いてありましたか』と質問すると、内容を答えられないのです」

もとより読書の学習では、最初に音読から入るのがセオリーである。小学校でも低学年の国語の時間では、みんなで声を出して教科書を読んだり、指名された人が指定された部分を音読したりする。
ただし、読書教育のプロセスで大切なのは、音読から黙読への転換だ。このとき最初は、「黙読とは声を出さない音読」と教えるのがよいと髙橋講師は説明する。
「人が言葉を理解していく過程を考えれば、最初は音声言語としての理解がスタートです。幼い間は、文字を介さず音だけで言葉のやり取りをしています。そこで次のステップとしては、文字の意味を音とつなげて理解させるのです。つまり音声言語(音)→意味の理解ステップから、音読により文字言語→音→意味として理解するステップへと進みます。その次となる黙読の場合でも、最初は声には出さなくとも、文字言語→音→意味のステップを頭の中で辿らせる。そのうち慣れてくると『音』のステップを飛ばして、文字言語から意味へと辿っていけるようになります」

音読から黙読への移行モデル
黙読での読解能力を習得させるには、音読の際に意図せずに行っていた音声化の過程を意識化させ、内化させる必要がある。黙読を“音声を発しない音読”として位置づけ、構音運動のみを行わせて音韻表象を生成する過程を指導する。この結果、構音運動が内化され、黙読においても内的に音声化できるようになる。
出典:『人はなぜ音読をするのか―読み能力の発達における音読の役割』教育心理学研究,2013,61,95-111髙橋麻衣子より

ここで大切なのが、単に頭の中で文字を音に変えるだけではなく、文字の意味を理解させるプロセスだ。そのためには、書かれていた内容を自分なりの言葉で表現させたり、あらかじめ問いを与えておいて、その答えを文章内から探させるなどの読み方をさせたりする。こうして読みながら頭を使わせるプロセスが理解を深める。
「黙読の苦手な子どもたちに読解の指導をすると、よく言われるのが『頭、疲れました』です」

このように読解指導に取り組んできた髙橋講師はある日、所属する研究室の中邑賢龍教授のひとことによって、まったく別の世界に導かれる。 「読めなきゃ聞けばいいんだよ」
こうして髙橋講師は、学習指導においてICTの活用に本格的に力を入れるようになった。

子どもたちの多様性に対応するICT

髙橋講師らのグループは、以前から学習環境へのデジタルデバイスの導入に取り組んできた。2009年には、協調学習を支援するデジタルペン黒板システムを開発している。専用のデジタルペンで専用紙に書くと、書かれた内容が1台のパソコンに集約される。これをプロジェクターで投影すれば、クラスの子どもたち全員が書いた内容を、大画面で一覧表示できる。
「このシステムを実際に使ってみての何よりの発見は、子どもたち一人ひとりが自分の意見をきちんと持っているという事実でした。教師の問いかけに対して、挙手して答えさせるやり方だと、積極的に発言する子とそうではない子に分かれます。では、発言しない子には意見がないのかといえば、決してそんなことはありません。デジタルペン黒板システムを使えば、みんなきちんと自分の意見を書いてくれます。まさに中邑先生の言葉通りで、喋るのが苦手なら書いてもらえばよいし、逆に書くのが苦手なら話してもらえばいい。各自の得意な学習スタイルに合わせて学べるのが、教育におけるICTの何よりのメリットです」

デジタルペン黒板システム
子どもたちがデジタルペンで書いた内容が、教員用のPCに集約される。集約された画面を、プロジェクターを使ってスクリーンに投影すれば、一人ひとりが書いた内容を大画面で提示できる。これにより教室内の全員が自分の考えを発表し、他の生徒の意見を見ることができる。
出典:『児童の論理的な読み書き能力を育む思考の相互観察活動―デジタルペン黒板システムを使用した授業実践から―』認知科学, 16(3), 296-312. (Sep. 2009) 髙橋 麻衣子・川口 英夫・牧 敦・嶺 竜治・平林 ルミ・中邑 賢龍より

教育現場へのICTの導入に関しては、いま強い追い風も吹いている。特にコロナ禍により対面授業が困難になった状況を受けて、教育用の動画学習コンテンツが急速に充実しているのだ。子どもたちの興味や関心に合わせた動画コンテンツを、手軽に見せられるようになったのは大きな福音である。しかもその内容は、セミの孵化シーンや脳の構造など、リアルな教室では見られないコンテンツが豊富に揃っている。本を読めなくとも、動画を見て学べる。まさに「読めなきゃ見ればいい」世界である。

もちろん、こうしたコンテンツを使う際には、教員による適切な指導が欠かせない。動画を見る行為は受動的であるため、単に見ておもしろかったで終わらせないための工夫が必要となる。
「動画を見るのは、もしかすると読む行為と似ている可能性があります。黙読を指導する際には、あらかじめ問いを与えたり、理解状態を確認します。同じように動画を見る前後に先生がワンクッション入れて心的努力を促すのです。具体的には最初に何のために見るのかを説明したり、質問を投げかけておいて、子どもたちの注意や好奇心を喚起したりする。そして見終わった後で、内容に関する確認や質問を行うなど、子どもたちを能動的な視聴に導くようにします。心理学的には、こうした学習時の心的努力の必要性が明らかにされています。すなわち子どもたちが、意識集中して見て内容を分かろうとする。苦労するほど記憶が定着し、理解が促進されるのです」

このように、その使い方は教師に工夫を求められるが、動画コンテンツもデジタルペン同様、新たな学び方につながる可能性がある。教科書を読むスタイルの学習法ではどうにもついてこれなかった子どもたちの興味や関心を、動画コンテンツなら引きつける可能性が出てくる。とはいえ全員が一様に動画で学べ、という話ではない。
「重要なのは選択肢が増えたことです。アナログな紙の教科書も使えるし、デジタル動画も使えるのが、今の時代の良さでしょう。アナログでもデジタルでも、使いたい方を子どもたちが選んで使えばいい。その選択を子どもたちに任せれば、自律的な学習者の育成にもつながります。もっとも、このような自律的な学び方が可能になるのは、高学年からだと思います。もう一つ、ICTを使うメリットがあります。教室での対面授業では、どうしても即時対応の瞬発力が求められますが、ICTなら自分のペースで学んでいけます。すると、教室の授業ではよく分からないまま先に進むために置き去りにされていた子どもたちでも、ICTなら一つひとつをきっちり理解してから先へ進める可能性が出てきます」

髙橋麻衣子講師
声を出さずには本を読めない子どもたちとの出会いが、研究の原点となった。本を読むとはどういうことか、音読と黙読の違いは何かと読む学びの追究が他の学び方へ、さらには人間支援工学へと広がっていった。

不登校児への対応策としての、新たな学びの形

読む・聞く、あるいは話す・書くなど、子どもたちによって学びの適性は異なる。ところが、現実の学校教育ではさまざまな制約があるために、一人ひとりに最適化された教育を徹底するのは難しい。そのために学校になじめない子どもたちが出てくる。 日本財団が2018年に行った『不登校傾向にある子どもの実態調査』によれば、不登校傾向にある中学生は全体の10.2%、推計すると約33万人にものぼる。実際に不登校となっている子どもと合わせれば、全体の13.3%、推計値で約43万人となる。
「こうした子どもたちが何に困っているのか。友だち関係の悩みもあるのですが、学習についていけていないケースも多々あります。もともと読み書きの不得意な子どもたちが、相当数いるのも別の調査で明らかになっています。学校に行けない子どもたちにとっても、ICTが新しい可能性を開いてくれます。つまりオンラインでの学習を登校と同じように扱ってもらえるなら、学校に行かなくとも、自分のペースで学べる可能性が出てきます」

不登校傾向にある子どもの実態調査
『不登校傾向にある子どもの実態調査』(日本財団 2018/12/12)。「不登校」または「不登校傾向」にある子どもを合わせると13.3%、約43万人にもなることが明らかとなった。

不登校の子どもたちのための学習法として、髙橋講師らが取り組んでいるのが、Activity Based Learning(ABL)だ。例えば、都内のある大通りの長さを限られた道具で測らせたり、予算を500円と決めておいて「まめ」の入っている食料品をデパートで買ってきたりといった課題を与える。
「すると子どもたちなりに考えるようになります。醤油やお味噌の中に豆が入っていることを発見すると、では味噌はどのようにつくられるのだろうかと次の関心が湧いてくる。あるいは、もし大豆の流通が止まったら、日本の食事はどうなるのかといったところまで発想を広げる子どももいます。他の子が買ってきた「まめ」製品を見て,発想の枠を広げる子もいる。「もっといいもの買えばよかった」と失敗を感じる子もいます。でも,この失敗が大切で,それが次のチャレンジ,学びにつながります」

今は教育現場はもとより、家庭でも子どもたちに失敗させないように手を尽くすケースが多い。もとより成功体験を積ませるメリットを否定するわけではない。けれども、人生においては予定調和的に成功するケースなど実際にはほとんどない。大切なのは失敗した後に、リカバリーできる力を養っておくことだ。失敗した子どもが「次は失敗しないようにやるぞ」と思ってくれたら、それでABLは充分に教育効果がある。
「さらに中邑先生のABLではスタッフの大人も参加しますが、その際に先生は絶対に子どもたちに負けるなとスタッフに指示します。あるいは、子どもたちのためになる落とし穴を掘れと言われるケースもあります。例えば『まめ』の課題のときなど、中邑先生はメンマを買ってきて、子どもたちに得意げに見せていました。子どもからすると不思議でしかたがない。メンマの一体どこに豆が入っているのか。そこで中邑先生は『マ』と『メ』が入ってるじゃないかと種明かしをする。頓智のようですが、これが子どもたちの視点の転換につながります。せっかく学校の外での学びなのだから、世の中にはおもしろい大人がたくさんいるんだと伝えたいのです。そうすることで、学校でうまく行かなくても、ほかでうまく行けばいいと子どもたちに気づかせてあげる。だから参加している大人が、楽しそうにしている姿を見せるのも大切にしています」

もちろん、このようなABLが、どの子どもにもフィットするかといえば、決してそうではない。学校という集団教育の場に向かない子どもたちには、ある程度なじむ教育手法ではある。だからといって今の学校教育に適合している子どもたちにまで、あえてABLを強いる必要などまったくない。
「ただ一点アピールしておきたいのは、学校教育という枠が一つ決められると、必ずその枠から取りこぼされる子どもがいる事実です。ABLはそんな子どもたちの、ひとつの受け皿になりえます」
さらに今は学校に適合している子どもたちにも、それが全てではないと知ってもらいたいと、髙橋講師は強調する。

子どもたちは一人ひとり違う、それが大前提

髙橋講師は、なぜさまざまな教育手法の研究に取り組むのか。
「教員志望の学生にありがちなのが、自分が受けてきた教育が非常に良かったから、それを子どもたちにも伝えたいと考える傾向です。子どもたちを良くしてあげたいとのモチベーションは大切にしてほしい。けれども、自分が受けてきた教育が、唯一の最適解だと考えるのはとても危険です。繰り返しになりますが、子どもたちは一人ひとり違うのです。だから教育はもちろん、子どもたちへの接し方やコミュニケーションの取り方も、本来は一人ひとり違って然るべきです」

現状の学校教育は、どうしても読み書きに偏りがちだ。けれどもICTの進歩などにより、読み書きは苦手だけれど、聞く・話すならできる子どもたちのための学びの選択肢が充実し始めている。自分に最適な学習方法を理解するのは、本来なら学習の前段階として必要な作業だ。ところが、現状は教育者の多くが、読み書きルールに固執してしまう傾向を持っている。そのため、子どもたちには選択の余地が与えられていない。
「この壁を、人間支援工学を駆使して何とか打ち破りたいのです」と髙橋講師は語る。

学びの本質に到達するための手段はいくつもある。その手段が人によって異なるのは当たり前、だから一人ひとりに最適な学びの手段を追究し提供する。
「読み書きの専門家でありながら、いつのまにか読み書きを使わない教育を追い求めるようになりました。デジタルツールはこれからもどんどん進化していくでしょう。そうしたツールも活用しながら、子どもたちを支援する。そのプロセスを通して『本当の賢さとは何か』を突き詰めていきたいと考えています」

 

髙橋 麻衣子(たかはし まいこ)
髙橋麻衣子講師

2007年東京大学大学院教育学研究科博士課程 単位取得退学、同年10月より東京大学先端科学技術研究センター リサーチフェロー、2008年4月より同特任研究員。2012年4月、日本学術振興会特別研究員(PD)、2013年4月、東京大学大学院教育学研究科博士号(教育学)取得、2016年1月、日本学術振興会特別研究員(RPD)、2018年8月より現職。

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