011:並木 重宏 准教授

並木 重宏 准教授

並木 重宏 准教授

並木 重宏 准教授

インクルーシブデザインラボラトリー

公開日:2020年11月30日

車椅子でも研究可能に――
アクセシブルな実験室をデザインする

病気や障害でキャリアをあきらめないアカデミア環境を目指して――。
理工系の研究の多くは、実験による立証が必要だ。最近では、研究を始めたばかりの学生でも使える実験機器も増えてきた。だが、障害や病気を抱えた学生にとって、実験に伴う多様な作業をすべてこなすことは難しい。
並木重宏准教授は、病気や障害を抱えている人でもアカデミアの世界で活躍できるバリアフリーな環境を構築するため、「インクルーシブデザインラボラトリー」を立ち上げた。自身も生物学の研究者であり、車椅子生活を送る並木准教授に、バリアフリーでアクセシブルな実験室の実現方法と、目指す未来について聞いた。

バリアフリーな実験室の実現を目指して

理工系の研究者に要求される作業は非常に多様だ。たとえば、バイオ系の実験を行うには、棚から試薬をとる、顕微鏡を覗きこむ、専用の器具で何度も溶液を吸い上げる、電子天秤で微量の薬品を測るなど、さまざまな動作が要求される。
病気や障害のために思うように体を動かせない人や、聴覚・視覚にハンデがある人にとって、実験が必要な理工系分野で研究を行っていくのは簡単ではない。そもそも最初から、研究者を目指すことをあきらめている人も多いと並木准教授は話す。
「アメリカで行われた調査によると、理工系分野の障害学生の占める割合は、学部では11%ですが、大学院教育では大幅に減少し、博士号取得者は約1%になってしまいます。日本ではこのような調査が行われていないので正確な実態は分かりませんが、身体障害者の支援が進んでいるアメリカでもこのような状況なので、日本はもっと少ないのではないかと考えています」

並木准教授自身も、難病発症で足が思うように動かなくなったときは、研究を続けていくことを一度はあきらめ、転職活動も試みた。そんな並木准教授が考えを変えたのは、先端研のホームページで二人の研究者の存在を知ったのがきっかけだった。
その二人とは、脳性麻痺のため電動車椅子で生活する熊谷晋一郎准教授と、視覚と聴覚の両方に障害がある盲ろう者である福島智教授だ。二人とも、障害のある当事者の視点から、バリアフリーや障害を研究していた。その姿を見て、病気や障害を抱えていても研究ができるかもしれないと、並木准教授は勇気づけられた。

並木准教授は、熊谷准教授の講座を聴講するようになり、やがて熊谷准教授と交流するようになる。そして、熊谷准教授や他の教員とともに、東京大学全学で取り組む「インクルーシブ・アカデミア・プロジェクト」のメンバーとなった。
「インクルーシブ・アカデミア・プロジェクト」とは、多様な人たちの学びや研究を支援し、誰ひとり残さない包括的(インクルーシブ)なキャンパスの実現を目指す取り組みだ。先端研が中心となり、東大全学の部局を巻き込んで、プロジェクトを進めている。
そのなかで、並木准教授が担うのは、構造面のバリアフリーの実現に向けた取り組みだ。具体的には、主に物理的なアクセスや法政面の整備である。特に、障害のある理工系の学生や研究者でも、自由に実験に取り組める環境「インクルーシブラボ」の研究開発に注力している。

熊谷晋一郎准教授と話す並木准教授。
熊谷晋一郎准教授と話す並木准教授。

障害を持った学生が、いかにして実験に取り組むか

「インクルーシブラボ研究の目指すところは、病気や障害を理由にキャリアをあきらめることのないようにすることです。その次に、障害が活かせるキャリアを見つけることを目指します。そのために今は、実験室の検討やガイドラインの作成など、大きく分けて4つのテーマを多面的に取り組んでいます」

1つ目は、障害学生を支援するためのガイドラインの作成だ。日本の障害学生・研究者に対する実験支援は遅れているどころか、まだ着手もされていないのが実情である。
「たとえば、アメリカ化学会は『障害学生への化学教育』のガイドラインのなかで、実験室のドアや通路の幅など、デザインに関わる基準を定めています。このような海外の先行事例を参考にしながら、日本の法律や文化に沿って修正し、日本の状況に合うガイドラインを作成していきます」

2つ目は事例集の作成である。これは、障害を持ちながら理工系分野で仕事をしている人々にインタビューを行い、大学時代や就労の経験を調査する研究だ。世界の事例も文献などを通じて集めていく。このようなデータベースが蓄積されれば、具体的な支援の方法が見えてくる。また、障害を持つ若い人が、将来の進路選択をするときの参考にもなると並木准教授は期待している。

3つ目は、実験に必要な動作を分析する研究だ。作業療法の分野で用いられる「作業分析」という手法を、科学実験にも適用する。これにより、どのような動作にどのような身体能力が必要なのかが詳細に分かり、支援の手がかりを得ることができる。

「4つ目は、実際に実験室を構築する試みです。ガイドラインを作成したら、それに従ったバリアフリー基準を満たす実験室を作って使ってみます。それと同時に、ガイドラインには収まらないさまざまな技術を導入し、試していきます。まずは私をサンプルにして、足が不自由な人の実験環境をいろいろ試してみたいと思っています。立位をとれる車椅子の仕様や、高さを変えられる実験台の開発、ロボットの利用など、できることは積極的に取り入れていきたいです。将来的には視覚障害など、さまざまな障害について検討していく予定です」

立った姿勢を取れる車椅子で、顕微鏡を覗きこもうとする並木准教授。
立った姿勢を取れる車椅子で、顕微鏡を覗きこもうとする並木准教授。

障害をもつ当事者であり理工系の研究者でもある並木准教授だからこそ、ニーズを理解して実態に即した実験室を作り上げることができるのだろう。並木准教授は、車椅子に乗るようになってから、それまでやってきた昆虫の研究に関する実験は中断している。だが、バリアフリーの実験室が実用化されれば、その研究を再開することができる。昆虫の研究では、どのようなことを目指しているのだろうか。

虫をモデルに生まれた“あのロボット”

「私は虫をモデルに、動物の行動を神経系の働きに基づいて説明しようと試みています。虫にも人間と共通の病因遺伝子があったりするので、ヒトを研究するモデルとして用いることができます。虫にも脳や神経があり、虫は神経の構造がヒトよりもシンプルなので解析しやすく、モデルとして適しているのです」

生きている動物に光を当て、神経活動を任意のタイミングで操作する「光遺伝学(オプトジェネティクス)」という技術がある。そのおかげで、ショウジョウバエという小さな昆虫の神経活動も詳細に知ることができるようになった。あらかじめ遺伝子を改変したショウジョウバエを誕生させれば、特定の単一細胞だけをコントロールすることもできる。この方法で、並木准教授はショウジョウバエの飛行に関係する細胞を突き止めた。

左はショウジョウバエの脳と脊髄の断面写真。遺伝子操作によって特殊なタンパク質を発現させた細胞が蛍光でラベルされている図
左はショウジョウバエの脳と脊髄の断面写真。遺伝子操作によって特殊なタンパク質を発現させた細胞が蛍光でラベルされている。光刺激を与えると、この細胞だけが働き、はばたきが生じる。© Shigehiro NAMIKI
はばたきの観察実験の様子
はばたきの観察実験の様子。光刺激を行い、行動の変化を高速カメラで撮影する。© Shigehiro NAMIKI

しかし、昆虫の研究が面白いのは、ヒトのモデル動物になるからだけではない。むしろ、昆虫だけの行動原理に興味をもつ並木准教授は、その可能性についてこう語る。
「虫も小さいながら、他の動物同様に、複雑な動きをこなしています。神経細胞の数も少なく、使える資源に限りがあるため、虫は独自の方法で、神経系を制御する方向に進化しました。ヒトのように巨大な神経ネットワークがあって、中央で司令塔的な役割を担う巨大な脳が周囲を統御するようなあり方ではなく、虫の神経は分散しながらそれぞれが独立し、機能する単位ごとに自律的に動いているのです。その戦略が非常に興味深い。人間も学べるところがあると思います」

昆虫の行動原理はロボットにも応用されていると、並木准教授は教えてくれた。その一例が、1991年に米国の研究者が開発した6本足の昆虫型ロボット「ゲンギス(Genghis)」だ。それを応用し、製品化したのが、自律型家庭用掃除ロボット「ルンバ」である。物にぶつかっては方向を変えるルンバの動きを見て、「生き物みたいだ」と感じた人がいたとしたら、それは正しい感覚だったわけだ。

インクルーシブデザインラボが切り拓く未来

並木准教授は、子供のころから研究者になろうと考えていたという。分野にこだわりはなかったが、虫でも人の役に立つ研究ができることに興味を覚え、現在は先端研所長を務める神崎亮平教授の研究室に入った。マウスで研究をしたこともあるが、留学中も昆虫の研究を続けた。一貫して、基礎的な動物の神経行動学に携わってきた。「インクルーシブデザイン」という、それまでとはまったく異なる研究を始めることになった今、どのような心境にあるのだろうか。
「バリアフリーの仕事はすぐに人の役に立つ可能性が高く、基礎研究とは違った面白さがあります。もちろん、虫の研究も人の役に立つと信じて進めていましたが、それは今すぐではなく、数十年先や、もしかしたら私がいなくなった100年後を見据えた話です。バリアフリーをキーワードに、さまざまな分野の人たちとつながれるのも魅力的です。障害者やその関係者、病院の人たちをはじめ、支援者やその技術を作っている人たちとも話をする機会があり、やりがいを感じています」

並木准教授
障害をもつ研究者の支援の取り組みは、まだ始まったばかりだ。

「インクルーシブアカデミアプロジェクト」が目指すのは、誰ひとり取り残さないインクルーシブなキャンパスの実現だ。それには、コストや法律などの面でも障壁は多い。並木准教授はそれらのバリアをひとつずつ、着実に乗り越えていくつもりだ。
「このプロジェクトは、まだ本当に始まったばかりです。ガイドラインについても、実は、そもそも作るべきなのかというところから議論しなくてはいけません。作るとしたら実用的なものにするべきで、大学やメーカーの方との折衝が今後は必要になってくると考えています」

高齢になればほとんどの人が病気や障害を抱えることになる。人生百年時代といわれる社会はもうそこまで来ている今、バリアフリー環境構築への取り組みは、誰もが他人事ではいられない。病気や障害でキャリアをあきらめないアカデミア環境が構築されたら、そこからどのような才能が活躍していくのだろうか。並木准教授の研究の先には、まだ見ぬ世界の可能性が拓けている。

並木 重宏(なみき しげひろ)
並木 重宏 准教授

2009年筑波大学大学院生命環境科学研究科博士課程修了、博士(理学)。米国ハワード・ヒューズ医学研究所博士研究員、同リサーチサイエンティストを経て、同コンサルタントを現在も務める。2015年6月から12月まで病気療養のため研究を中断。先端研では2009年に特任助教に着任後、特任講師、特任准教授を経て、2020年4月から現職。

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