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第1回 情報文化社会 分野 御厨 貴 教授

御厨 貴 教授

先端とは何か。難問である。
二十年史(注1)を編集した折も、逃げまわった思い出しかない。

ただ今年度末での交付金教授退職を控えて、あれこれ始末をつけているうちに、不思議と見えて来たものがある。それは先端研に、“文系”が、さらに言えば“政治学”が存在することの意味に他ならない。

東大の部局すべてを見渡しても、“文系”そして“政治学”が、理工系主体の部局に鎮座ましました例は無い。先端研にだけどうしてあるのだろうか。おそらく誰もがそれを真剣に問うたことはあるまい。「成りゆきですよ」との返答が、すぐにも聞こえてきそうだ。

先端研が常に先端であるためには、実は“尖端”でなければならぬ。とがってないとダメなんだということ。実はそうするためには、個々の研究者が自分の専門領域で、“とがっている”だけではすまない。そう、組織として “とがっている” ことを常に意識させる存在が、必要なのだ。

だからこその “文系” と言ったら、手前味噌に過ぎるだろうか。まずは異種を、異端を正統の中に入れることだ。何だか自分にとってあたりまえの世界に、異物がいることの大変さと大切さ。よく文理融合といわれるこれまた、言うは易く、行うは難しだ。もっとも私自身工夫しなかったわけではない。廣瀬教授(注2)、堀教授(注3)、伊福部教授(注4)たちとの「記憶の研究」はまさにそれだ。

先日、廣瀬教授が会長を務めるバーチャル・リアリティ学会で、特別講義を行ない、今回の震災の「記憶」の問題に触れた。文理ともに歩みより、「記憶」のアーカイブスの創造にむけて何か出来ることの確信を、改めて二人が持てたのは幸いである。先端が尖端であることを、再認識させられた瞬間でもある。

“文系” とりわけ “政治学” は、まだまだ異業種混合の組織の中で、働くことができる、しかも働き次第では、先端=尖端に貢献しうると思っている。先端研にいる限り、あらゆる政治現象を常にすぐにはっきりと説明しなければならない。同文同種がほとんどの組織であれば、あれこれ留保をつけてそれこそ大勢の中に埋没していても分らない。でも先端研に唯一人しかいないのであれば、ともかく分りやすく発信し続けなければダメだろう。正統の中にあって異端は決して楽な存在ではない。
だからこそ逆に、常に緊張感に包まれつつ、発言し続けられるのだ。

ここで紙面が尽きた。この続きは、年度末の先端研主宰の最終講義「東大御厨研物語 ‐ 先端研に政治学?‐」で、果たすことにしよう。乞うご期待!

(注1) 東京大学先端科学技術研究センター二十年史 - ある一部局の自省録 ‐2007年10月18日発行 

(注2) 廣瀬 通孝 教授(生命知能システム)

(注3) 堀 浩一 教授(工学系研究科航空宇宙工学)

(注4) 伊福部 達 名誉教授

(2011年12月)

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