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第2回 エネルギー環境 分野 瀬川 浩司 教授

瀬川 浩司 教授

第一回の御厨教授のリレーエッセイに、「先端であるためにはとがってないとダメ」とある。しかし「尖っていれば先端か?」と問えば、そうでもない。尖ったものには、先端もあれば末端もある。図のA1とA2 を見ていただこう。A1 は千枚通し、A2 は神経細胞 (のつもり)で、それらの尖ったところに丸印を付けてある。A1は明らかに千枚通しの針の「先端」で、これを末端という人はいない。でも、A2 はどうか。神経細胞の「末端」であり、これを先端と呼ぶ人はあまりいないだろう。「尖っていれば先端」という訳ではないのである。

先端と末端

では、先端と末端を区別するものは何か? それは、図を見ている我々の意識の中にある。千枚通しは物体を刺す道具であり、その写真を見ればいつでもその先を意識する。我々の意識の中心は、B1のように意図せず針の先の物体に置かれているのだ。その物体に近付くものとして、針先の尖った部分は先端と感じる。しかし神経細胞はどうか。B2 のように、細胞の核を中心に見てしまい、その細胞の端の尖った部分は末端と感じてしまう。このように、先端と末端の違いは我々の意識の中にあるのだ。ただし、神経細胞の末端であっても、これを先端と感じる場合もある。それはどんな時か? 神経細胞の末端が、他の神経細胞に伸びて行く状態を見る時、末端を「先端」のように感じる。実は我々が何かを「先端」と捉える時、そこには無意識に「動的過程」を含めて考えている。
「先端」とは、「何かに向かって近づく動的過程」を強く意識させる言葉なのである。C1とC2 を見ていただこう。全く同じ形状の尖った部分でも、自分の意識をどこに置くか、目標がどこにあるか、で先端か末端かが決まる。研究も同じである。ある目標に向かって着実に進んでいく動的過程があり、その中で最も目標に近い部分が「先端」である。

先端研には「人間と社会に向かう」という目標がある。その目標に向かって着実に伸びていることが、先端研が「先端研」であり続ける条件なのだろう。もちろん、全ての構成メンバーにとって個別の目標は全く違う。それでも目標に向かう動的過程は、どの分野でも共通である。そのようなダイナミズムを、大切にしたいと思う。

(2012年2月)

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