第23回 稲見 昌彦 教授

稲見 昌彦 教授

先端的体験

初めて先端研の門を潜ったのは修士課程の頃、情報物理学分野の舘暲研究室を見学したときだった。今では先端研カフェとなっている14号館の実験室に、世界初のテレイグジスタンスシステム『TELESAR』が設置されていた。頭部搭載型ディスプレイ(HMD)を装着し、石川啄木の『一握の 砂』ではないが自らの手をじっと見ると、操作者の動きと同期する隣の人型ロボットのカメラを通し、ロボットの手を眺めることになる。つまり自分の手がロボットハンドに「変身」する。さらにHMDで周囲を見渡すと、隣に見慣れた背中が見え、一息ついたあとにそれが自分の背中であることに気づく。主観的位置がロボットの位置に完全に投射され、まさに幽体離脱体験である。

ロボットに変化した手を凝視し、自らの背を客観視することで「自己」や「存在」といった哲学上の難題に対し工学的にもアプローチしうることに衝撃を受けた。是非この分野を深く学びたいと考え、先端学際工学専攻への進学を決意した。入学後は講義やオープンハウスなどで幅広い分野の 教員、学生に接することで、自らの研究者としての立ち位置や研究分野の意義を、それこそテレイグジスタンスのように客観視点で眺めることができた。

そして入学してから奇しくもちょうど20年後の2016年4月、先端研に教員として着任した。学生時代幾度も夜を明かした場で再び研究を行う機会を頂いたことに大きな喜びを感じている。20年ぶりに先端研に居を構え、学生時代は当然のように受け入れていた先端研の「先端」とは何か、思いを巡らせている。例えば私が学生時代に体験したTELESARは、当時すでに製作から5年以上経過してHMDにも多くの体験者の汗が染み込んでおり、必ずしも最新鋭のシステムとはいえなかった。しかしながら同等以上の性能のシステムは世界には存在せず、「最先端」であり続けていた。

三十周年を迎えた先端研も、もはや「新しい研究所」ではない。しかしながら、還流などによる研究分野の新陳代謝により、教員や学生や社会に最先端の体験を提供する場でありつつある。この「先端的体験」を提供するコンパクトな場としてふと想起したのがコンビニエンスストアである。棚には食品、雑誌から文房具まで魅力的な新製品がところ狭しと並び、特段用事が無くてもふらりと立ち寄って、買うつもりもないものを思わず購入してしまう。なるほど、東京大学が最高級の品ぞろえを誇り、少しかしこまってお出かけする老舗の百貨店とするならば、先端研は普段着で気楽に立ち寄れる知のコンビニであっても良いかもしれない。百貨店だとフロアごとに商品構成がガラリと変わり全体を回ろうと思ったら半日がかりだが、コンビニなら一覧性も高く、5分も歩けば新しい商品をチェックできるし、予定にない商品や人との出会いもあり毎日でも寄ってしまう。

新しくインパクトのある研究成果、魅力的なスタッフや学生は先端研の重要な構成要素である。しかしその真価は先端研でしか味わえないライブ体験にこそあると考える。この時間、空間との関係性としての体験は、複製できない価値である。「先端的体験」を提供する知のコンビニ、先端研に貢献しつつ楽しみ尽くしたい。

(2017年9月)

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