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第27回 ニュートリオミクス・腫瘍学 分野 大澤 毅 特任准教授

大澤毅特任准教授

一歩一歩積み上げた先にあるもの

「他のどの道よりも、10年長持ちする道を作る」。小学生の私が父親に「何を目指して仕事をしているのか?」と質問した時の答えである。北海道の片田舎で建設会社を経営していた父親は、当時、好景気で公共事業が盛んだった北海道で、会社を大きくすることや利益を優先すること(家族を幸せにすること)よりも、国税を使った仕事をするからには、自分たちが作った道路が少しでも長持ちするように、一つ一つの行程を丁寧に仕上げるという信念を持っていた。北海道は未開の地が多く残っており、山、森、川に新たな道や橋を作ることが祖父や父の仕事で、私は物心が付く前から現場によく連れて行かれて未開の地が開拓される様を肌で感じていた。幼少期の私は、将来、父や祖父と一緒に北海道で新しい道を作る仕事を継ぐのだと信じていた。

大学に進学する頃、北海道の建設業界という村社会に生きる父親から、「将来は日本の中の小さな村社会に拘束されず、地球人として自由に生きて欲しい」とよくわからないことを言われた。私は家業を継ぐことをやめ、英国への留学を決めた。当初、英国の国家資格であるタクシー運転手(未だに日本人ドライバーは存在しない超難関国家資格…)になりたいと考えたが、担任の先生に「大学に行け!」と却下され、幸運にもロンドン大学に進学することができた。はじめての英語環境での学生生活は、想像以上に難しかった。最初に同年代のイギリス人に付けられた私のあだ名は「Deaf=耳聾」。会話を理解できず言葉が出ない私を、周りの学生は露骨にバカにした。授業にもついていけず、できが悪かったが、大学在学中の教授陣がとても親身に勉強や生活の面倒を見てくださり、運良く成績上位で大学院まで進学できた。お世話になった教授陣のような先生になり、がん研究をライフワークにしようと決意した。

英国の大学院博士課程修了後、東京大学医科学研究所の澁谷正史教授(当時)に研究員として拾っていただいた。研究のイロハや研究に対する考え方は、澁谷先生にお教えいただいた影響が大きいと感じている。帰国したての私は、Cell、Nature, Science(CNS)といった一流誌を目指し、そこに載る論文が出せなければ研究者としての未来はないと考えていた。「どうしてもCNSを出したい」と言った私を澁谷先生は「甘い」と一喝し、「そんなに簡単にCNSに載る研究ができるはずがないだろう。運良く載ったとしても、それはラボの先人がそれまで積み上げてきた成果であり、誰もあなたの研究として評価してはくれない」と言い、逆に「小さくても自分のオリジナルな研究を一つずつ積み上げ、未開の領域を開拓することが大事だ」と諭した。一報の大きな成果ではなく、小さくても確実な一歩をまとめた研究成果の積み重ねによって開拓された新たな領域は、その分野の著名な先生でも無視することはできない。そのような仕事は後で必ず評価され、その積み重ねの過程の中で、たまたま思わぬ大きな成果が出てくるものだと教わった。

北海道の片田舎出身のどこの馬の骨ともわからない私を、これまで多くの先生が救ってくださり、教えをいただいたことに心から感謝している。先端とは、「一歩一歩積み上げた先にあるもの」と私は信じている。いつか、これまで教えてくださった恩師の言葉が、心から自分の言葉となる日が来るように努力したい。幼少期に父が私に言った言葉のように、心にずっと残る教えのように。

(2019年6月)

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