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第32回 人間支援工学 分野 髙橋 麻衣子 特任講師

髙橋麻衣子講師

先端は、強くて優しい正義の味方

研究の道を志して本学大学院教育学研究科に入学したときの衝撃をまだ覚えている。研究室の先輩・同輩が、(そんな評価を私がするのはおこがましいのだが、あえていうならば)非常に賢く、さらには努力の天才だったのである。それまで“がんばればできる”体験を積んできた私の“がんばり”の量では全然足りないと途方に暮れた。世界は広い。

その後、縁あって先端研に入れてもらったり出戻ったりした挙句になんと教員のポストまでいただいた私は、大学院入学時と同じ衝撃を受け続けている。またしてもそんな評価をすることはおこがましいのだが、世界的な研究者である、とてつもなくお忙しいだろう先生方が、優しいのである。自分の業務でいっぱいいっぱいの私は途方に暮れる。世界は広いのだ。

世界は広い。自分のモノサシでは測りきれないほど広い。遠い国の話だけではない。この国にも、学ぶ意欲はあるのに金銭的理由で高等教育を受けられない人がいる。女性だからと大学進学を前提にされない人生がある。どんなにがんばっても自力で文字を読んだり書いたりするのに習熟できない人もいる。“がんばればできる”は幻想だ。全員が等しく、がんばるための土台をもっているわけではない。そんな土台があることに気づいていないこともある。

「学校になじめない」と主張する子どもたちとかかわり始めて、彼らの見えている世界が、他の多くの子どもたちのそれとは違うことが少なからずあることに気づいた。大多数の子どもの認知発達に即した形で行われる学校教育には、例外的な認知特性を持つ子どもはなじみにくい。

私がもともと専門としていた認知心理学分野では、人間の記憶や思考、言語処理などの認知のプロセスを心理実験によって解明しようと試みるときは、主に平均値を代表値とし、長すぎたり短すぎたりする反応時間は外れ値として処理してきた。学校になじめない子どもたちも、ある意味では平均から離れた外れ値なのかもしれない。しかし、正規分布上では外れ値こそが先端である。

先端とは何かと言われたときに、先端研の先生方、大学院時代の先輩方とともに、このような学校になじめない子どもたちをイメージした。それぞれにいわゆる平均から突出した何かを持っている。ただ、子どもたちはもちろんまだ先端途上だ。自力での読み書きが困難ならタブレット端末を使って学べばいいじゃないかというと「他の子と違うから」と躊躇する子が多い。

先端にいるということは、自分以外に参照するものが何もない状態にあるということである。学校で用意された学びが自分にあわないと感じるのであれば、自分にあったものを自分で決定しなくてはならない。ここに、徹底的に自分を見つめて自分の判断を信じる強さが必要となる。自分を尊重できると他者も尊重できる。自分の軸を確立し、自信をもって追求する人の生きざまをみることで、勇気をもらい肯定されるたくさんの人生がある。正義の味方はなろうとしてなれるものではない。ただ、先端にいる人は結果として誰かにとってのヒーローなのだと思う。

自分は学校になじめていないと自覚する、自分の軸を持つ子どもは正義の味方候補生である。そう、もはや学校になじめているかどうかは関係なく、自分の中にある軸を見つめ磨き続ける子どもは、強くて優しい、将来の正義の味方ではないだろうか。

そんなスーパーヒーローが今後たくさん誕生することを信じて、先端研の一員としてこれからも力を尽くしたい。

(2021年1月)

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