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環境が脂肪細胞を操作する
代謝医学分野 酒井研究室

誰もが聞き慣れている「生活習慣病」という言葉。ではなぜ、生活習慣が病気を引き起こすのでしょう? それは、環境や栄養といった日常的に繰り返される行為によって遺伝子の情報が書き換えられてしまうから。今回は、昨年、生活習慣病の予防や新規治療法につながる研究成果を発表した酒井研究室を訪ねました。

メタボの原因は、遺伝より環境

  • 酒井教授と学生酒井教授の研究を知り、海外を含む他大学から研究室に入る学生も多い
  • 高血圧や糖尿病、高脂血症などを引き起こすメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)、通称「メタボ」。多くの疾患では遺伝的要因の影響が大きいものも少なくないが、酒井寿郎教授は「メタボを始めとする生活習慣病は、遺伝的な素因だけでなるわけではありません。むしろ、環境的な要因が重要と考えられています」と説明する。生活習慣病は、環境からの刺激や栄養の影響などが複雑に絡み合って起こる。環境や影響などによる一時的な代謝機能の変化が「細胞の記憶」として記録されたかのように長期的に持続してしまい、それが、脳卒中を起こしやすい、心筋梗塞になりやすいなどの、いわゆる「体質」となり、生活習慣病を引き起こしてしまうのだと言う。変化した代謝機能が細胞のどこかに記憶されていることは間違いないが、どのような仕組みで記憶されるかは、まだ解明されていない。酒井教授は「細胞の記憶は“メタボリック・メモリー”や“レガシー効果”と呼ばれています。先天的な遺伝ではなく、後天的にゲノム(遺伝情報)のどこかがメチル化という化学修飾されることで遺伝子の発現を制御する「エピゲノム」によるものだということが、ここ10年くらいで急速にわかってきました」と話す。

例えば、一卵性双生児の場合、生まれた時は血液型もDNA鑑定の結果もまったく同じだが、成長するにつれ、外からの刺激や条件で変わってくる。片方が病気になりやすい体質なのに、もう1人はほとんど病気をしないなど、体質の違いが現れる。このような変化は「エピゲノム」によるものと見られている。逆に、細胞に記憶されるというメタボリックメモリーの仕組みをいい方向に使い、将来合併症を引き起こさないように糖尿病をコントロールしていく研究も進められているという。

「溜め込む脂肪」と「燃やす脂肪」

メタボを引き起こす要因の1つは肥満。BMIによる肥満の判定値は国ごとに異なり、日本では25以上が脂質異常症や糖尿病、高血圧などの生活習慣病のリスクが2倍以上になる「肥満」とされている。米国の肥満の基準値は30以上であることを考えると「日本人は肥満に弱い体質だと言えます」と酒井教授。その肥満の鍵を握るのが脂肪細胞。「脂肪細胞と聞くと悪者のイメージですが、実際には生命活動に必要なエネルギーを溜め込んだり、ホルモン分泌などを行う重要な細胞なんです」と酒井教授。ではなぜ、脂肪=悪者のイメージなのだろうか。「白色脂肪細胞はエネルギーを溜め込みますが、過剰に溜まると肥大化して悪影響を与える悪者に変身するため、肥満になるんです」。悪者化した白色脂肪細胞は主に内臓脂肪で悪影響を与え、生活習慣病を引き起こす。「でも、ヤセる脂肪細胞もあるんですよ」と酒井教授。「脂肪細胞には2種類あって、もう1つの褐色脂肪細胞は、熱を作り出し、脂肪を燃焼させます」。褐色脂肪細胞は、カテコールアミンというアドレナリンやノルアドレナリンなどの働きと関係が深い。「闘争/逃走のホルモン」とも呼ばれるカテコールアミンは、敵の攻撃や緊急事態に急速かつ集中的にレスポンスするために心拍数や血圧などを上昇させたり、寒い環境で生命機能を維持するために熱をつくり出すなどの働きを褐色脂肪細胞に促す。その働きによってヤセやすくなる、ということらしい。

  • 白色脂肪細胞と褐色脂肪細胞
  • 脂肪を溜め込む白色脂肪細胞(左)と脂肪を燃やす褐色脂肪細胞(右)

酒井教授によると、白色脂肪細胞も褐色脂肪細胞も脂肪細胞は「前駆脂肪細胞」が分化してできたものだという。「前駆脂肪細胞も脂肪細胞もゲノムの塩基配列は同じですが、前駆脂肪細胞では脂肪を蓄える遺伝子の働きが抑えられ、脂肪細胞ではその遺伝子の働きが活発になっています。それぞれの細胞で遺伝子の働きが異なるというのは、ゲノム情報が後天的に書き換えられている、つまりエピゲノムが関与しています」。これまで前駆脂肪細胞におけるエピゲノムの仕組みはわかっていなかったが、酒井教授と酒井研・松村助教らの研究グループは前駆脂肪細胞のエピゲノム解析を行い、前駆脂肪細胞が脂肪細胞にならないように防いでいる仕組みを解明。その研究成果は学術誌『Molecular Cell』に掲載され、掲載号の表紙を飾った。

※ BMI(IBody Mass Index):肥満度を表す指標として国際的に用いられている体格指数。[体重(kg)]÷[身長(m)の2乗]で算出される。計算方法は世界共通だが、肥満の判定基準は国によって異なる。 内臓脂肪の蓄積は必ずしもBMIと相関しないが、メタボリックシンドローム予備軍を拾い上げる意味で特定健診・特定保健指導の基準にはBMIが採用されている。

 

脂肪細胞への変化を抑える仕組みを解明

「ゲノム情報を伝える塩基配列そのものは、細胞が分裂したり別の細胞に変化しても変わりません。ところが、前駆脂肪細胞と脂肪細胞では、ゲノム情報が細胞の働きを制御する仕組みが異なります。これは、塩基配列のある部分の情報がメチル化によって後から書き換えられた結果、前駆脂肪細胞のままでいるものと脂肪細胞へと変わるものができることを意味します」と話す酒井教授。研究グループは、前駆脂肪細胞の多くに脂肪細胞を活性化するH3K4me3と抑制するH3K9me3が直列したクロマチン構造(DNAが巻かれているタンパク質構造)が存在し、この構造が前駆脂肪細胞を脂肪細胞へと分化するスイッチのような役割を果たしていることを突き止めた。「前駆脂肪細胞にあるエピゲノムH3K9me3が限られた数の遺伝子の働きを抑え、脂肪細胞への分化のタイミングを調節していると考えられます。前駆脂肪細胞からH3K9me3を消失させると前駆脂肪細胞は脂肪細胞に分化し、脂肪を蓄え始めます」と酒井教授。 どのような外的要因が前駆脂肪細胞のスイッチをつくるのか。何がスイッチをコントロールするのか。また、白色脂肪細胞と褐色脂肪細胞はどのように作られるのか。代謝に関する研究テーマは尽きない。「現在は、脂肪細胞がどのように白色化または褐色化するのかという研究を進めています」。生活習慣病と関係の深い肥満を引き起こす仕組みを解明し、栄養と環境による予防法や新しいコンセプトの創薬実現を目指す酒井研。日本、いや世界中がその研究成果を心待ちにしている。

  • マウスの比較
  • 寒い環境で熱を作る体温調節に必要なタンパク質JMJD1Aを欠損させた肥満マウス(右)は、本来ならエネルギー消費が高くなる4℃のインキュベーター内でもエネルギー消費が悪く低体温になる。この研究成果はネイチャー・コミュニケーションズに掲載された。
<<脂肪細胞、悪者は白・救世主は茶色>>

脂肪細胞には2種類あり、中性脂肪を蓄えて膨らむのは「白色脂肪細胞」。 一方、「褐色脂肪細胞」には脂肪を燃やして熱に変えることができるので、脂肪細胞という名前でも脂肪を減らす役割を果たしています。

  • 脂肪細胞になる前の「前駆脂肪細胞」は、「白色脂肪細胞」または「褐色脂肪細胞」へ分化するが、分化の仕組みはまだ解明されていない
そこが知りたい! 『Molecular Cell』の表紙を飾った研究成果

『Molecular Cell』は、分子生物学領域で高いインパクトファクター値を持つ学術誌。酒井教授らの研究成果は、不思議の国のアリスをモチーフに表現され、2015年11月19日号(Vol.40)の表紙を飾った。

  • エピゲノム「H3K9me3」が消失すると前駆脂肪細胞は脂肪細胞として分化し、脂肪を蓄え始める
  • 酒井教授(右)と松村助教(左)
  • 脂肪博士の手の先に

教授の横顔

  • 酒井寿郎 教授
  • 留学先のテキサス大学では、コレステロール代謝の調節に関する発見で1985年にノーベル生理学賞を受賞したゴールドスタイン博士・ブラウン博士に師事した。「美しく完璧、大変芸術的な研究で感動しました」とソフトな声でにこやかに話す酒井教授。酒井研所属の研究員に普段の様子を尋ねると「ショートカットして効率よく研究する、ということを決してしない。細部まで綿密、粘り強く、徹底的に。その研究姿勢に感動します」との声が。本人は「研究を効率から考えたことがないので、わからないんですが…」と笑う。若かりし酒井教授が恩師の研究に感動したのと同じような気持ちであろう研究員たちを率いて、今日も21世紀の生物医学上の大きな課題解明に挑む。

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