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2021年イグ・ノーベル賞の謎 受賞者が考える、動力学賞と物理学賞の「なぜ?」  広報誌『RCAST NEWS』
115号掲載

  • 先端研ニュース

2022年2月7日

「特に笑える研究じゃないのに、何で?」。2021年イグ・ノーベル賞動力学賞受賞直後、西成活裕教授はこう感じ、共に受賞したフェリシャーニ クラウディオ特任准教授も「何が面白いの?と聞かれても、単体では答えにくい」とコメント。1991年にノーベル賞のパロディとして創設され、「人々を笑わせ、そして考えさせる研究」に授与されるイグ・ノーベル賞。メディアでは、二人の受賞研究の実験で“歩きスマホ”が人の流れを阻害することが注目されましたが、西成教授は「今回の受賞の肝は物理学賞とのつながりにある」と言います。

イグ・ノーベル賞オンライン授賞式
Improbable Research 公式ウェブサイトより別ウィンドウで開く

(写真)オンライン授賞式にて、左上がイグ・ノーベル賞創設者のエイブラハム氏。西成教授(右上)の背景は「密」をぬいぐるみで表現。地元スイスの民族衣装で登場したフェリシャーニ特任准教授(下段左から2番目)は、授賞式名物の「紙飛行機飛ばし」ができるよう、バック一面にペーパーを準備。フェリシャーニ特任准教授の右が、論文筆頭著者の村上久京都工芸繊維大学助教、左下が西山雄大長岡技術科学大学大学院講師。

2つの賞の研究成果は対極なのか

イグ・ノーベル賞授賞式では、動力学賞の前に物理学賞が発表されていた。物理学賞は『なぜ、歩行者はお互いにぶつからないのか』。動力学賞は『なぜ、歩行者はお互いに時々ぶつかるのか』。そう、物理学賞は「ぶつからない」、動力学賞は「ぶつかる」と、対のようなタイトルだ。ちなみに、イグ・ノーベル賞はノーベル賞のパロディだが、どの賞も受賞研究自体は真面目に行われたもので、今回の物理学賞と動力学賞の研究も評価の高い専門誌に掲載されている。

物理学賞の研究は、オランダの1つの駅で1日10万超の歩行者計500万人を6カ月間レーザーセンサーでトラッキングし、人々がぶつからず自然に避け合う様子を物理学的に解析。人間は意思を持って動いているつもりでも、全体の動きは物理学的な法則(ランジュバン方程式)の特徴を持っていることを明らかにした。一方、西成教授とフェリシャーニ特任准教授を含むチームが受賞した動力学賞の研究は、先端研4号館前の通路で2つのグループ(1グループ27人)が反対方向から向かい合って歩く実験を行った。この時、片方のグループのうち3人がスマートフォンを持ち計算問題を解きながら歩くと、周囲への注意力が阻害された歩行者だけでなく、スマホを持っていない周囲の人たちやもう一方のグループの流れにも乱れが生じ、スムーズにすれ違うことができなくなった。つまり、片方だけが相手の動きを読んで避けようとしてもうまくいかないことを明らかにしている。

物理学賞も動力学賞も歩行者を対象にした研究だが、結論は矛盾して見える。しかし、ここに、西成教授が「物理学賞とのつながりが肝」と言い、フェリシャーニ特任准教授が「単体では答えにくい」と話す今年度のイグ・ノーベル賞の核心がある。

物理学賞と動力学賞の前提条件、どこが違う?
  物理学賞 動力学賞
受賞タイトル Why pedestrians do not constantly collide withother people なぜ歩行者は“いつも”他の歩行者とぶつからないのか Why pedestrians do sometimes collide with other pedestrians なぜ歩行者は“時には”他の歩行者とぶつかってしまうのか
対象 歩行者(約500万人) 歩行者(54人:27人×2グループ)
実験場所 利用者1日10万人程度の駅通路
幅9m、長さ3m
実験環境を整えた通路
幅3m、長さ10m
密度 低密度 高密度
調査期間、実験回数 6カ月 1日(介入なし+条件を変えた介入あり12回×4 計48回)
介入 なし(人の自然な流れ) あり(スマホを見ている人)
調査・実験方法 センサーで歩行者の経路をトラッキング 対向する歩行者グループの流れをカメラで録画

本当は矛盾していない?その理由は

「物理学賞と動力学賞の研究成果は、前提条件が全く違うので結論が対極にあるように見えますが、矛盾はしていません」と西成教授は言う。先端研での実験を設計・実施したフェリシャーニ特任准教授によると、物理学賞と動力学賞では、2つの前提条件が大きく異なるという。1つは「歩行者集団の密度」、もう1つは「実験環境の設計」だ。

「歩行者集団の密度」について、物理学賞では論文に“混み合っていない群集”を観察したと明記されている。一方、動力学賞の実験では、幅3m、長さ10mの通路で27人×2グループが向かい合って歩く“高密度”な状況が再現された。「この類の実験で一番難しいのが人数設定です。人が多すぎると歩きスマホの介入がなくても渋滞してしまうし、少ないとスッと歩けてしまって介入の効果がわからない。集団の密度や、歩きスマホの人をどこに何人入れるかといった細かな条件は、過去の実験における試行錯誤の結果です」(フェリシャーニ特任准教授)

「実験環境の設計」では、駅における人の自然な流れを観察している物理学賞に対し、動力学賞では、歩行者集団の密度調整と同様に緻密に設計されていた。「実験は敢えてシンプルに、つまらないと感じる状況にします。休憩はきちんととりますが、どのタイミングで誰が休憩するか、誰がスマホを持つかという詳細も知らせません。初めて実験を行った時に『この回が終わったらお昼休みです』と伝えたら、朝から何度も歩行を繰り返して一番速度が落ちるはずのお昼前が一番速くなってしまったんです。それくらい、人の動きは感情に左右されます。今回の実験でも、様子を見に来た西成先生が疲れてきた参加者に冗談を言って笑わせたら、思いっきり流れが乱れて、村上さん(論文の筆頭著者・村上久京都工芸繊維大学助教、元西成研究室所属)が『先生、モチベーションを上げたいのはわかりますが、乱れた原因がわからなくなるので…』と止めに入りました。村上さんは、普段は数年前に賞味期限が切れたお菓子を机の上に置きっぱなしにしますが、実験に関してはすごく敏感なんですよ。今回の実験を行ったのが秋だったので、4号館前のイチョウが色づいていて、実験中にハラハラとイチョウが落ちてきたら、『黄色の帽子とイチョウの葉が混在して分析できなくなる!』と大慌てでした」

  • 実験の様子
  • 受賞研究の実験は先端研4号館前通路で行われた。たしかに、村上氏が心配するのも無理がないほど、イチョウの黄色と帽子の黄色が似ている。実際には、問題なく分析できた。

たしかに、物理学賞と動力学賞は前提条件が全く違う。しかし、どちらの研究も歩行者集団を対象にして「混んでいなければ、互いに動きを読み合って衝突を回避する( 物理学賞)」し、「混雑した状態で視覚的な介入があると、互いにうまく動きを読み合えない(動力学賞)」ことを示している。つまり、「お互いの相対的な動きが衝突回避に重要である」ということを明らかにしており、それが、西成教授が「結果は矛盾していない」という理由だ。

イグ・ノーベル賞創設者に聞いてみると…

2021年9月末、イグ・ノーベル賞創設者のマーク・エイブラハム氏と、物理学賞受賞チームのアレッサンドロ・コルベッタ氏、動力学賞受賞チームのフェリシャーニ特任准教授がイタリアのラジオ番組に出演した。フェリシャーニ特任准教授によると、日本では日本チームの受賞研究単体で紹介されることが多かったが、海外では物理学賞と動力学賞のセットで取り上げられることが多いそうだ。「マークさんに2つの賞の関連性を尋ねてみましたが、答えてはもらえませんでした。ただ、『自分たちの研究は他の受賞研究と比べて面白くないのに、なぜ選ばれたのか?という問い合わせはよくある。研究者は毎日そのテーマと向き合っているから、研究の面白さがわからなくなっている』と言っていました」

今回の2つの賞のつながりを、フェリシャーニ特任准教授は研究者としてどう考えているのか。「イタリアの記者とも話していたのは、科学に早急な答えを求めることへのメッセージではないか、ということです。最近だと、ワクチンが安全か否かというように、世界で『早くどっちか選んでよ』という声が大きくなっている気がします。でも、研究は絶対的な答えを出すものではなく、メカニズムや現象を調べるものです。今回のように前提条件が違えば、結論が真逆になることもあり得ます。2つの賞は相反する結論のように見えますが、メカニズムは同じ。実際、物理学賞の論文には『稀に衝突するケースも観察された』と明記されていました」。イグ・ノーベル賞授賞式では、先に発表された物理学賞チームにトロフィーが渡される際、プレゼンターが「この研究の歩行者は携帯電話を持っていましたか?携帯電話を見ていると人とぶつかりやすいかどうかが気になります」とコメントした。「物理学賞に続いて発表された動力学賞にはスマホが介入していて、受賞タイトルも数文字違いだったことを考えると、科学についてより深く考えるきっかけを人々に与えたかったのかもしれません」

一般的な群集のイメージと最新研究とのズレ

2つの受賞研究に共通する「互いに動きを読み合って衝突を回避する」現象は、ある意味、人間らしくも感じる。物理学賞では意思を持つ人間も全体では物理学の法則に従っていることを示していたが、実際に人間特有の群集の動きはあるのだろうか。フェリシャーニ特任准教授はこう話す。「おそらく認知的には動物と変わらないと思います。以前に、光で誘導されたカニと人間の軌跡をそれぞれグラフにして、柳澤先生(柳澤大地准教授)にどちらが人間の軌跡かを聞いたら、『こっちだよ』とカニを選びました。人間の動きはヒツジの動きとも似ていますね。イタリア語に“羊のように行動する”という諺があります。何も考えずに他の人と同じことをするという意味ですが、群集の動きを見ると、人間一人ひとりは賢いのに集団になると愚かになると感じます。自分の考えを無視するわけではなく、なんて言えばいいんだろう?群れ自体が愚かになるというか。SNSで悪質なコメントがつくと攻撃的なコメントが続くのも、動物っぽい気がします」

人の群集として興味深いのは、「群集マネジメント」で言及される“群集パニック”だ。「緊急時に人がパニックになり、それが伝染することは稀です。人の自己中心的な行動が大混乱を引き起こすという一般のイメージとは逆で、人は自発的に助け合うという研究成果が様々な分野で出ています。群集事故が起こる原因も、パニックではなく安全対策の不備がほとんどです。認知的には群集における人と動物はあまり変わらなくても、心理的な影響を受けると人の動きには変化が起きます」。フェリシャーニ特任准教授は、ここに群集研究の面白さがあるという。「群集研究は、認知心理学でも建築でも、興味を持ったらどんな分野の研究でも取り入れられます。実は、今回の歩きスマホを介入に使うアイデアは、別件でやり取りしていたイギリス人記者との会話がきっかけでした。これからも、興味を持ったテーマをどんどん取り入れて、研究を進めていきます」

  • フェリシャーニ特任准教授

    ▲送られてきたPDFで自作したトロフィーと出力した賞金を手にポーズを決めるも、ビミョーに左手の位置が違っている「クラちゃん先生」ことフェリシャーニ特任准教授

  • イグノーベル

    ▲左上のエイブラハム氏のサイン以外はノーベル賞受賞者。「どなたのサインかわかった方、ぜひ教えてください」(西成教授)

  • ジンバブエ・ドル

    ▲PDFで贈られた、賞金の10兆ジンバブエ・ドル

研究者の横顔

西成 活裕 教授

西成 活裕 教授

博士(工学)。2009年7月より現職。数理科学を基盤とした複雑システムにおける創発現象の解明と応用を目指す。特に自己駆動粒子という視点から、その集団運動の流れと渋滞について分野横断的な渋滞学的研究を行う。趣味はオペラを歌うことと合氣道。

イグ・ノーベル賞受賞を履歴書に記載しますか?
「はい!」

西成 活裕 教授/研究者プロフィール

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フェリシャーニ クラウディオ 特任准教授

フェリシャーニ クラウディオ 特任准教授

博士(工学)。スイス出身。2020年7月より現職。スイスで原子力工学を学び、尼崎の日本企業の研究所へ。「技術だけでなく人間と関わる研究がしたい」との思いから、物理や流体力学と社会科学がつながる渋滞研究へ。趣味は水泳、ランニング。都会より自然が好き。

イグ・ノーベル賞受賞を履歴書に記載しますか?
「もちろんです!」

フェリシャーニ クラウディオ 特任准教授/研究者プロフィール

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